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旧約聖書の宣教の話(1)
by.CGNTV
hit 1381 recomend 143 2020-04-20 23:02:46

旧約聖書の宣教の話(1)

 

 

 

ド・ユッカン Duranno 海外宣教会(TIM)理事

 

 

聖書は、「宣教の書」です。聖書には、人類の救いのための神様の切なる宣教の話が詰まっているからです。多くのクリスチャンは、宣教命令はイエス様の復活以後の命令であり、旧約聖書とは特に関係ないと誤解しています。しかし、神様は旧約時代には静かに遠くから眺めておられ、新約時代になって世界の福音化を宣言されたのではありません。ジョン・ストットは「旧約の神は、宣教の神だ。なぜなら、神は全人類の神だからだ」と言っています。

人類の救いの計画は、人間の堕落直後から始まりました。アダムとエバを罪に陥れた蛇に対する神様のことばに、驚くべき救いのご計画が含まれています。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」(創 3:15)。宣教神学者のジョージ・ピータースは、この短いみことばに、救いに関する6つの事実が含まれていると言っています。第1に、救いはすべて神様の主権によるものです。第2に、救いは敵であるサタンを滅ぼすことです。第3に、神様の救いは、全人類に影響を与えることです。第4に、救いは一人の仲介者によって成し遂げられます。第5に、救いは救い主が苦しみにあわなければならないことを意味しています。第6に、堕落が歴史的な事実であるように、救いも歴史の中で経験することになります。神様は、救いの道を約束し、またその約束を真実に成し遂げていかれます。旧約は、神様の救いがどのように準備され、どのように全世界で成し遂げられるのかを示しています。

人間の堕落以後に起こったノアの洪水とバベルの塔の出来事には、人間の罪と神様の愛の対比がドラマチックに現れています。アブラハムを召された時の神様のことばを見てみましょう。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創 12:1~3)。神様は、アブラハムを選び、召されましたが、地上のすべての民を念頭に置いておられます。

洪水前の人間の堕落とバベルの塔を建てようとする人間の悪しき心をご覧になった神様は、以前とは違う救いの道を準備されました。一人の人を選び、その人を通してすべての民に祝福を与えることにされたのです。一人の人アダムによって世に罪が入ってきたように、準備された一人の人を通して世を救うことにされたのです。そのために、御子イエスを遣わすご計画を立て、その方の予表としてアブラハムを聖別されました。アブラハムの召しには、「特権」と「責任」という2つの側面があります。自分だけが祝福されるのではなく、隣人と世界に祝福を注ぐ責任と特権があるのです。

神様がアブラハムを召された時、3つの祝福を約束されました。1つ目は、子孫に対する約束です。神様は子どものなかった75歳のアブラハムを大いなる国民にすると言われました。2つ目は、地に対する約束です。神様は、故郷を離れて、何も保証のない所に出て行くアブラハムに、地を与えると約束されました。3つ目の祝福は、特別でした。アブラハムに「祝福となりなさい」と言われたのです。祝福されるのではなく、祝福そのものになれというのです。アブラハムのいる場所が祝福となり、アブラハムを通してすべての人類に祝福が注がれるという約束です。別の表現をすれば、宣教の召命です。この召命を受けたアブラハム自身も、この祝福の約束がどういう意味なのか、正確には分からなかったことでしょう。

ジョン・ストットは、アブラハムに与えられた約束はメシアの預言であり、3重に成就されると解釈しています。第1に、アブラハムの代と旧約時代にわたって、部分的に成就されました。① アブラハムの子孫イスラエルは、大きな民族となりました。「イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた」(出 1:7)。② 約束の地を得させてくださいました。「あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ』と言われました」(出 32:13)。③ 国々に祝福が注がれるようにされました。「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである」(出 19:5~6)。アブラハムと彼の子孫イスラエル民族を通して、神様の約束は歴史的に成就されました。しかし私たちが知っているように、イスラエルは栄えた時も滅びた時もありました。ですから、この成就は部分的でした。

第2に、この約束はイエス・キリストを通して完全に実現されました。アブラハムと結ばれた約束は、キリストと教会を通して、現在、少しずつ成就しています。① イエス・キリストを救い主として信じる私たちは、アブラハムの祝福を受け継いで大きな民となりました。「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、『すべての異邦人が、あなたによって祝福される』と、前もって福音を告げました」(ガラ 3:7~8)。② キリスト・イエスを救い主として信じる人々は、神の国の相続人になりました。「というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです」(ロマ 4:13)。③ 私たちは、世の祝福になるという特別な身分を与えられました。「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです」(Ⅰペテ 2:9)。私たちは、信仰により、アブラハムの子となり、彼に与えられた約束を受け継ぐ新しい被造物になりました。その約束は、今日の教会と信徒たちを通して現在、実現しています。

第3に、イエス様が再び来られる時、この約束が完全に成就されます。アブラハムの約束は、世の終わりの日に救われるすべての人々を通して完成されます。① 私たちは、数多くの民族とともに救いの共同体を成し遂げていきます。「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。彼らは大声で叫んだ。『救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある』」(黙 7:9~10)。国籍や人種、性別、身分の違いに関係なく、すべての人が神様の聖なる民として、新しい契約共同体を作り上げていくのです。② 私たちは、未来の新しい天と新しい地を相続するようになります。「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た」(黙 21:1~2)。③ その日、私たちは完全な祝福を味わい、神の国で主とともに永遠に住まうことになります。「勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる」(黙 21:7)。このように、アブラハムに与えられた約束は、終わりの日に完全に成就するでしょう。私たちは、その日に向かっている神様のご計画の旅程の一部分を生きているのです。

旧約時代に起こった出エジプトは、イスラエル民族が奴隷から解放された出来事ですが、同時にそれは、全人類が罪の奴隷から解放される救いの予表でした。神様は、出エジプトの数多くの奇跡とみわざを通して、ご自分の民とエジプト、そして全世界に、ご自分がどのような方であるかを示され、イスラエルの使命が「祭司の王国」(出 19:5~6)であることを見せてくださいました。

統一王国時代、ソロモンが神殿を奉献したときにささげた祈りからも、イスラエルの宣教の使命を確認することができます。「同様に、あなたの民イスラエルの者でない異国人についても、その人があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、彼らが、あなたの大いなる御名と力強い御手と伸ばされた御腕について聞き、やって来てこの宮に向かって祈るなら、あなたご自身が、あなたの御座が据えられた場所である天でこれを聞き、その異国人があなたに向かって願うことをすべて、かなえてください。そうすれば、地上のあらゆる民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようになり、私が建てたこの宮で御名が呼び求められなければならないことを知るでしょう」(Ⅰ列 8:41~43)。ソロモンによって建てられた最初の神殿も、イスラエルの民だけのためのものでないことが分かります。神様のビジョンは、遠い地域のすべての異邦人も主の大いなる御名を知ることであり、地上のすべての民が主を恐れるようになることです。神様は「わたしの家は、あらゆる民の祈りの家」(イザ 56:7)と言われました。

詩篇には、多くの宣教的な単語が使われています。「全地よ / 主を恐れよ。すべて世界に住む者よ / 主の御前におののけ」(詩 33:8)。「全地よ / 神に向かって喜び叫べ……全地はあなたを伏し拝みます。あなたをほめ歌い / あなたの御名をほめ歌います……国々の民よ / 私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ」(詩 66:1, 4, 8)。「あなたの道が / 地の上で御救いが / すべての国々の間で知られるために……神よ / 諸国の民があなたをほめたたえ / 諸国の民がみなあなたをほめたたえますように」(詩 67:2, 5)。「すべて偶像に仕える者 / 偽りの神々を誇る者は恥を見る。すべての神々よ / 主にひれ伏せ」(詩 97:7)。これらは、神様をほめたたえながらも、全地とすべての国々の民がともに賛美することを願い、歌っている詩です。これらの詩がヨハネの黙示録の終わりの日の大合唱に向かっているということは、明らかです。

聖書は、宣教の書です。私たちの神様は、宣教の神様です。ですから、すべての教会とクリスチャンは、宣教をしなければなりません。それは、教会の大きさや信徒の数とは関係ありません。イエスを信じた年数や経歴も関係ありません。私たちが主と呼ぶ方が宣教の神様であられ、私たちに与えられている聖書が宣教のために書かれたものであるからです。それが、今日の教会が宣教に励むべき理由です。

 

 

ド・ユッカン

韓国 長老会神学大学院(神学 修士号)。

米国 フラー神学大学院(宣教牧会学 博士号)。

韓国 ヤンジ・オンヌリ教会 主任牧師。

Duranno 海外宣教会(TIM)理事。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2020年3月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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