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キリストはいつも生きていて
by.CGNTV
hit 63 recomend 12 2017-04-10 14:10:26

キリストはいつも生きていて     

 

東京シャロームチャペル 牧師 榊原 寛

 

へブル人への手紙は、大祭司について書かれています。旧約において、大祭司が神殿における神への儀式のすべてを、キリストによって踏みなおし、主イエスが真の大祭司であることを強調しているのです。大祭司キリストについて、「私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか」(へブ 4:14)と述べ、まさに迫害の渦中に置かれている聖徒たちに対し、大いなる励ましを送っているのです。

へブル人への手紙の前半においては、キリストがすべてにまさる大祭司であることが述べられています。まず、「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます」(1:3)。御子イエスは、「神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ」であり、「罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれ御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました」(1:34)。

次に、「家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました」(3:3)。

そして、「アロンのように神に召されて受け」た大祭司(5:4)、また、「とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司」(5:6)であると言っています。この大祭司イエスご自身が、何度もくり返される捧げ物の子羊としてではなく、一回限りの、永遠の贖いの捧げ物として、贖いを全うしてくださったのです。

「……キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(9:1314)。

旧約時代にこの神に仕えて信仰を全うした勇士たちによって、今や私たちは、雲のように囲まれています。ですから、この方から目を離さないで、信仰の馳せ場を走り抜こうではないかと勧めているのが11章、12章です。当時、ローマ皇帝によって、迫害が日々に強まっていたとき、ペテロは投獄され、パウロは幽閉され、多くの指導者たちに火の粉が降りかかろうとしていました。いつ自分たちに襲ってくるかわからない苦難に対して、著者は、大祭司ご自身の苦難の姿を描き、聖徒たちの信仰を鼓舞しています。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」(12:23)。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」、「このような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい」と、念を押すように諭しているのです。

「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(7:25)。しかも主は、実にあわれみ深く、忠実な大祭司として、すべての点で私たちと同じになってくださいました。主イエスは、私たちの罪のためのなだめをなし遂げてくださったばかりか、「ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです」(2:18)。

そして、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(4:15, 16)。

復活された主が聖霊によって働かれている姿です。今も、主は生きていて、大祭司としてのとりなしの祈りを続けてくださるのです。「いつも」ということばは、「いつでも、どんな時でも、どこででも」という意味で、「生きていて」という意味を強調しています。いつも生きておられるお方は、私たちに「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(13:5)と、ご自分の苦難に満ちた生涯といのちをかけて約束しておられるのです。

ですから、私たちも、「そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。『主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう』」(13:6)と叫ぼうではありませんか。エマオの道すがら、共に歩んでくださったのは、このお方なのです。

 

榊原 寛

1941年、静岡県生まれ。東京聖書学院、卒業。日本ホーリネス教団伊東キリスト教会、茅ヶ崎キリスト教会、東京目白・朝霞仲よしキリスト教会牧師を歴任。現在、東京シャロームチャペル牧師。

ラジオ・テレビ番組のパーソナリティーとして、神の愛とキリストの救いを伝えている。

 

本文は、『リビングライフ STORY 20174』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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