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教会に通うのではなく、教会になりましょう
by.CGNTV
hit 417 recomend 81 2021-01-05 14:37:28

教会に通うのではなく、教会になりましょう

 

 

 

イ・ジェフン オンヌリ教会 主任牧師

 

 

コロナによって急変するニューノーマルの時代に、教会はどのように変わるべきでしょうか。安全のために「リモート」が中心原理となっている時代に、いつも集まって礼拝し、交わり、宣教してきた教会は、どのように対応するべきなのでしょうか。

このようなリモート社会の最大の危機は、人格的な交わりが絶たれ、たましいを汚す数多くのメディアに浸りやすくなることです。すでにポルノや暴力的な映像は、人々のたましいを汚れた生活へと導いています。オーストラリアのモーリン神学校教授のマイケル・フロストは、このような時代の流れを「脱肉の時代」と表現しました。「脱肉(excarnation)」とは、「受肉(incarnation)」と反対の概念です。

「脱肉」とは、古代に死者のからだから骨だけを残してすべて取り除く風習を表したことばです。中世ヨーロッパでは、死者のからだを遠い国から故国に運ぶとき、衛生的な面から、骨だけを残して肉を取り除きました。人間を解体する古代のこのような風習を、コロナ禍において堕落した文化により肉体からたましいが引き離されている現象になぞらえて表現したのです。脱肉の時代の現象が教会の中に入ってくれば、分離主義的な二元論が起こります。教会とこの世の分離が起こり、信仰と生活を互いに違うものとしてとらえるようになるのです。「頭」ではよく分かっている真理が、「からだ」に現れないのです。

イエス様の時代に「脱肉」された現象が現れた人々は、パリサイ人です。その当時、パリサイ人たちは、ほかの人々と区別された者として、神様の前で義と認められることを願っていました。パリサイ人たちは、断食を制度化して、週に二度ずつ断食しました。ところが、断食を行い続けることで、彼らの心は高慢になり、神様から離れていきました。本来はたましいのために制度を作ったのですが、時間が経つにつれて肉のために守られるようになったのです。つまり「脱肉化」していったのです。

コロナ禍が私たちにもたらした良いものは「教会の本質」に向かって変えられるためのチャレンジです。もし私たちがパリサイ人たちのように、一定の宗教儀式を行うことを信仰だと考えていたとしたら、すべて脱いでしまわなければなりません。たましいのための教会の制度が、かえって肉のために守られている「脱肉的な」ものになっているなら、変わらなければなりません。私たちは、コロナ禍の中で大切なことを学んでいます。「ただ教会に通っていてはいけない。自分自身が教会にならなければならない」ということです。

ただ教会に通っている人たちは、礼拝堂の建物の中に自分自身のからだがあることを重要視しましたが、教会である人々にとっては、内面にキリストの臨在があることがもっと重要です。教会の生命は、イエス・キリストの臨在を経験することです。教会の本質であり、力となるものは、花婿であられるキリストに会い、その方の臨在を経験することなのです。

パリサイ人たちが作った宗教的な制度は、この世と分離された衣を着ることでした。しかし、福音は、私たちをこの世と分離させるのではなく、この世の中に光と塩として浸透しながら存在することです。「衣」とは、アイデンティティを表す文化を指します。

教会がこの世の様々な領域の一つになり、この世と区別された共同体としての衣を着ているなら、それは古い衣を着ていることです。この世から分離された教会として存在するなら、絵に描いたような教会に成長できたとしても、この世に影響力を与えることはできません。教会は日常の中で神様の統治を現すべきなのです。

教会がこの時代に着るべき新しい衣は、この世に浸透し、この世のために光と塩として存在する衣です。私たちは、教会として独立してこの世に存在するのではなく、この世の各領域に浸透し、この世のためにこの世に仕えながら存在するべきなのです。

ディートリヒ・ボンヘッファーは、このように記しています。「教会は、他者のために存在するときにのみ教会である。教会は、一般的な生活の問題や重荷を、支配することによってではなく、助け、奉仕することによって、ともに負うのである。教会は、キリストにあって他者のために存在するとはどういうことかを、すべての職業面で語ることができなければならない」

今日、私たちの代案となる信仰は、この世に受肉されたキリストのからだとして存在することです。教会の力は、真のキリストのからだとして存在するときに現れます。私たちの目標は、世に光と塩として浸透することです。肉とたましいを切り離していく恐ろしい脱肉化の時代に、たましいと肉を一つにされるキリストの臨在を体験し、この世に示すことです。

 

 

イ・ジェフン

米国トリニティ神学大学(修士課程)修了。

ゴードン・コンウェル神学大学(博士課程)修了。

現在、オンヌリ教会 主任牧師。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2021年1月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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