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終末のしるしを見て御国に望みを抱きなさい
by.CGNTV
hit 222 recomend 41 2022-01-04 14:46:55

終末のしるしを見て御国に望みを抱きなさい

 

ハ・ヨンジョ オンヌリ教会 前主任牧師

 

 

[ マタイの福音書24章3~14節 ]

 

マタイの福音書24章と25章は、終わりの日に関するイエス様のみことばです。イエス様は、このみことばの後、十字架の道を歩まれます。ですから、終わりの日に関するみことばは、イエス様の地上での生涯における最後の教えです。24章は終わりの日に関する預言であり、25章は終わりの日に関するたとえです。

終末には、個人的なものと宇宙的なものがあります。この世での人生が終わる日が、私たちの個人的な終末です。宇宙にも終末、つまり終わりの日があります。私たちが死んだら、たましいが消えてなくなるのではなく、そこには神の国と地獄があります。

個人と宇宙の終わりの日には、それぞれさばきがあります。終末と主の再臨には深い関係があるのです。「しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます」(Ⅱペテ 3:10)。

 

イエス様の預言の実現

「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか』」(マタ 24:3)。

イエス様がオリーブ山に座ってエルサレムを凝視しておられたとき、弟子たちが恐れ震える思いで尋ねた言葉です。イエス様が「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません」と預言されたからです。この預言は、歴史的に成就されました。紀元70年に、エルサレムは徹底的に破壊されました。イエス様の預言は100%的中したのです。これは、イエス様が語られる今後の事に関する預言は100%成就するという意味です。主のことばは、一点一画も決して消え去ることがないからです。

 

惑わしの霊による混乱

イエス様の弟子たちは、二つ目の質問をします。「主が再び来られる時、どんなしるしがありますか」という質問です。エルサレムの崩壊は、イエス様の死後に起こった出来事です。しかし、主の再臨と終わりの日のしるしは、2千年が経った今より後に起こる出来事です。

「そこでイエスは彼らに答えられた。『人に惑わされないように気をつけなさい』」(マタ 24:4)。

終わりの日には、惑わしの霊が現れて人々の信仰を混乱させ、霊的にさまよわせます。これが、終末に最初に現れる最も特徴的なしるしです。クリスチャンを呑み込もうとする惑わしの霊は、どのように現れるのでしょうか。

「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします」(マタ 24:5)。

自称クリスチャンは、初代教会の時代からいました。そして、今もいます。しかし、終わりの時にはそのような人がたくさん現れると、イエス様は預言しておられます。問題は、そのような自称クリスチャンが作った異端に、多くの人々が惑わされてしまうことです。なぜ洗礼を受けた人や長老、牧師までが、そのような自称クリスチャンについて行くのでしょうか。それは、終わりの時代には、惑わす霊が満ちあふれるからです。イエス・キリストを信じない人々ではなく、信じている人々が異端について行く理由は、救いに対する信仰が揺るがされるからです。私たちは、救いに対する信仰を確認しなければなりません。どんなことが起こっても、神様が私を救ってくださったという信仰は揺るがされてはなりません。

 

深刻な自然の破壊

「また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません」(マタ 24:6)。

二つ目に現れる終末のしるしは、戦争や戦争のうわさが続くことです。ロサンゼルス暴動の時、そこにいた人々は、恐れのあまり、地獄にいるようだったと言います。そのような暴動や戦争のうわさが途絶えず、実際にそのようなことが起こるのです。

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります」(マタ 24:7)。

終わりの時には、民族と民族が争います。そのようなときこそ、私たちは祈らなければなりません。目を覚まして祈ってこそ、私たちの民族が再び立ち上がることができます。祈ること以外に、民族を救う道はありません。今日、世界は偽りの平和で満ちています。一見すると、平和に見えていても、多くの民族と民族、国と国が争うようになります。これが、聖書の預言です。

また、深刻な飢饉があります。アジアの人々の中で、現在、数億人が飢餓状態にあります。また、終末には地震が起こります。日本をはじめ、世界の各地から地震のニュースが頻繁に聞こえます。聖書は、今後、さらに多くの飢饉と地震と戦争のうわさを聞くことになると言っています。

地球には、ある意味で、終末の末期的現象が起こっています。学者たちは、この地球上に残されている資源で、人類がいつまで生きられるだろうかと心配しています。また、環境汚染についても心配しています。道徳的な堕落は言うまでもありません。戦争の危機は日ごとに深刻になっています。これが終末に起こる現象だと、イエス様は私たちに教えておられますが、「しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです」(マタ 24:8)と言われました。それは始まりにすぎないというのです。

 

偽預言者たちの出現

三つ目のしるしは、内面的なものです。

「そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます」(マタ 24:9)。

私たちの国では、イエス様を信じたからといって、迫害されたり、捕らえられて牢に閉じ込められたりはしません。しかし、世界には、イエスを信じている人を迫害し、捕らえる国がたくさんあります。信仰の自由のある国は、多くはありません。しかも、ヨーロッパの信仰は崩れてしまいました。世界のあちこちで、クリスチャンは仏像やイスラム教信徒やイデオロギーなどによって迫害されています。

「そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします」(マタ 24:10~11)。

聖書は、終わりの時には、クリスチャン同士が裏切り、憎み合うようになると言っています。そして、偽預言者が大勢現れるとも言っています。偽預言者は、偽キリストとは違います。それは、自分のことを預言者だと言いながら教会を混乱させ、信徒たちを惑わす人々のことです。彼らは、自分だけが特別な啓示を受けたと言います。彼らの一般的な特徴は、教会を批判することです。もちろん、教会にも、堕落した部分や悔い改めるべき部分は、たくさんあります。しかし、意図的に教会を破壊するために批判する勢力があるというのです。

 

愛のない冷たい関係

四つ目に、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます」(マタ 24:13)と言われました。偽預言者たちが大勢現れ、人々の信仰を惑わすと言いましたが、このように不法がはびこるので、愛が冷えます。恵みの代わりに律法が強調され、人間関係が冷たくなります。すべてのことが、ビジネス関係、ギブ・アンド・テイクの関係になり、条件なく与える関係がありません。形式的で冷たい関係ばかりになってしまうのです。

教会は、条件なく与え、助けることを喜びます。これは奇跡です。この世は計算しますが、教会はだまされても与え、恵みと愛を分かち合わなければなりません。しかし、終わりの時には、そうではないと言われました。

「不法」の原語の意味は「無道徳」です。道徳がないことです。すべてのことを社会学と心理学によって解釈しようとし、聖霊によって解釈しようとしません。すべてのことを相対化させます。神様も信仰も相対化させます。そのようにして真理をなくそうとするのです。そのようにして愛が冷めると聖書は言っています。

 

終わりの時を迎えるクリスチャンの人生

終末の現象が現れるとき、クリスチャンはどのように生きるべきなのでしょうか。イエス様は二つの方法を示されました。

「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(マタ 24:13)。

偽キリスト、戦争と戦争のうわさ、飢饉と地震、迫害と苦難、偽預言者の出現、不法と冷淡など、これらすべての現象が起こるとき、クリスチャンは揺るがされず堅く立ち、最後まで耐え忍ばなければならないというのです。私たちは、みことばによってのみ耐え忍ぶことができます。

今は惑わしの時代です。悪しき霊、惑わしの霊が私たちの信仰を揺るがそうとするでしょう。みことばの上に堅く立たなければなりません。イエス様を信じることで満足せず、訓練を受けなければなりません。自制しなければなりません。1日の中で、みことばと祈りに30分も用いない人には、何の保証もありません。この世のあらゆる誘惑が押し寄せ、サタンが惑わすとき、揺るがされない自信がありますか。毎朝、夜明け前に起きて祈り、聖書の前でひざまずきましょう。信仰がみことばにあってしっかりと成長しなければなりません。訓練を受けていない人は、異端に流れていきます。

終わりの時に取るべきもう一つの態度は、福音を宣べ伝えることです。

「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます」(マタ 24:14)。

私たちはみな、イエス様のために忙しくなければなりません。教会に行くことよりも良いことは、世にはありません。神様のために献げる時間よりも価値ある時間は、ほかにありません。私たちの人生において生涯後悔しないことは、伝道することです。すべての民族に福音が宣べ伝えられてこそ終わりが来ると言われました。いずれ私たちは、それぞれこの世を去ります。今こそ、決意すべき時です。過去のように生きてはなりません。この終わりの時、イエス様ために御国の福音を伝えながら生きる者となりましょう。

 

 

祈り

父なる神様! 終わりの時に、私たちが訓練を受け、信仰の上に堅く立つことができるように鍛えられなければならないことが分かりました。私たちを惑わそうとする霊に揺るがされないようにしてください。主は、御国の福音がすべての民族に伝えられてから終わりが来ると言われました。今、私たちが担うべき使命は、まさにこの福音を伝えることであることを信じます。この世のことばかり考えず、天の事を考え、この地上で生きる時間、御国のために生きていけますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2021年12月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。

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