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ESSAY
それゆえ、喜び歌え(2)
by.CGNTV
hit 387 recomend 166 2017-07-25 16:40:07

それゆえ、喜び歌え(2)

 

  ゼカリヤ2:11 その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。

 

 神はここで、イスラエルの民が考えもしなかったある日について語られる。この日は、預言する預言者たちですら、全く考えもしなかった日である。この日は、イスラエルの民だけでなく、多くの国々が神の民となる日である。神がエルサレムの火の城壁となってくださり、ひとみのように守ってくださる理由は、イスラエルだけを愛されるからではない。多くの国々が神の民となるために、イスラエルを用いられるこらである。

 神がアブラハムを選んでイスラエルの先祖とすると言いながら約束されたみことばは、地上のすべての民族に祝福を分け与える祝福の源とするということであった。イスラエルの歴史は、アブラハムに与えられたこの約束が成就される歴史である。

 当時のイスラエルの民の関心は、エルサレムに帰った人々に限定されていた。今、彼らが目にしているエルサレムは、みすぼらしく弱々しい町にすぎなかった。状況や成り行きが難しくなると、視野が狭くなりやすい。夢と希望を失うと、視野が狭くなってしまう。未来を見通すことができず、現実の問題に執着しやすくなる。ところが、神は幻を通して、エルサレムが、散り散りに散らばっていた民が、帰還して城壁を築く必要のない神の町となることを見通しておられる。そこからさらに進んで、数多くの国々が神の民となるところまで見通しておられる。この驚くべき神のご計画とビジョンを見据えて、賛美して喜べというのである。だれが神の民であろうか。このような神のビジョンをともに見据えて喜ぶ人々が神の民である。神のビジョンと幻には、いつでも多くの国々が神に立ち返り、神の民となることが含まれている。自分が受けたビジョンと幻が神から来たものかどうかを見分ける重要な試金石がここにある。自分ではなくほかの人、自分の家庭ではなくほかの家庭、自分の国ではなくほかの国、すべての民族と国々が神のもとに立ち返り、神の民となることで喜ぶなら、神から来たビジョンなのである。

 神の関心は、ただエルサレムの神殿を再建するところにあるのではない。エルサレムが霊的エルサレムに拡大され、さらに進んで数多くの国々の民が霊的イスラエルに、アブラハムの子孫になって神の民となるところに神の関心がある。このようなビジョンを神の臨在の中でともに見据えるとき、目に見える神殿も再建され、エルサレムの経済と社会も回復されるのである。13節はとても荘厳な表現で終わる。

 

 ゼカリヤ2:13 すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。

 

 神がご自分の民を守るために立ち上がられる姿が荘厳に描写されている。神はただ御座に座っておられるだけの方ではなく、立ち上がって働かれる方である。危機と危険の中にある民を顧み、彼らのために火の城壁となり、彼らをひとみのように守り、働かれる方である。

 その神の摂理の前ですべての肉なる者は静まらなければならない。肉に属する人々は、神のみわざを見ることができないので、愚かな言葉で神を制限し、神を判断する。恐れ多くも「神はこうでなければならない。ああでなければならない」と注文するかと思えば、神に問いただしたり、時にはくってかかったりもする。

 神は彼らにこのように言われる。

 「静まりなさい。わたしが立ち上がる」

 「あなたがたはじっとしていなさい。わたしが神であることを知るだろう」

 「あなたがたはじっと立って、わたしがあなたがたのために行う救いを見なさい」

 「あなたがたは静まって、わたしがどのようにあなたがたを守るかを見なさい」

すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られる。

 

 

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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