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ESSAY
神の選択
by.CGNTV
hit 394 recomend 144 2017-09-11 15:21:56

神の選択

 

 ゼカリヤ3:2  主はサタンに仰せられた。「サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」

 

 神は、汚れた服を着ていたヨシュアをとがめるのではなく、サタンをとがめられる。神がヨシュアとその民の罪を知らないからだろうか。そうではない。神はすべて知っておられる。それなのに、なぜ律法に基づいたサタンの訴えは棄却されたのだろうか。

 第一に、神が選ばれたからである。二節で、エルサレムを選んだ主がサタンをとがめていると言っている。神がヨシュアをとがめず、サタンをとがめている理由は、神の民が何の問題もなく正しいからではない。また、サタンの主張に根拠がないからでもない。神の民がこれからはしっかりすると決断したからでもない。ただ神が彼らを選んだからである。

 

 ローマ8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

 

 神は、ご自分の民を、罪や咎がないために選ばれたのではなく、無条件の恵みによって選ばれたので、今の罪や咎によって神の選択が取り消されることはないというのである。アブラハムを選ばれた神は、ご自分の民がどんな疑いや不信仰の姿を見せても、見捨てたりはされなかった。イサクとヤコブ、そしてモーセとその子孫が、神の前に絶えず罪を犯して反逆しても、神はご自分の民を見捨てたりはされなかった。神が選ばれたからである。

 これは、神に選ばれたら、どんな過ちを犯しても見逃してくださるという意味ではない。神は、サタンがご自分の民を治めることをお許しにならないという意味である。サタンには決して神の民を滅ぼす資格がないのである。神の民に対するさばきは、ただ神だけがおできになる。神の民の罪と咎がさばかれるとしたら、それはサタンの訴えのためではなく、神のご計画に従って神ご自身が治めておられるからである。

 第二に、神が選ばれた人々を救うためである。二節後半部の「火から取り出した燃えさし」は、当時の神の民の状態を最もよく表現している。ジョン・ウェスレーは六歳の時、自分の住んでいた教会の牧師館が火事になり、屋根が崩れ落ちる中、隣人の助けでかろうじて救出されたという。それで、いつも自分を紹介するとき「火から取り出した燃えさし」と言ったそうである。このたとえは、木が火の中に落ちて主人公によって救出されたということである。主人が火の中に落ちた木を再び取り出したのは、燃え残った木の未来に対してある目的を持っていたからである。それで、完全に燃えてなくなる前にそれを取り出したのである。

 神は、イスラエルを懲らしめて火のようなさばきに落とされたが、彼らをその火の中から再び取り出してくださった。神に選ばれた民に対する神のご計画と目的が残っていたからである。サタンは神のさばきで終わることを願うが、神はサタンにこう言われる。

 「主であるわたしは決して罪をそのまま見過ごしたりはしない。だから、わたしの民を火でさばいた。しかし、わたしの目的を成し遂げるために、彼らを火から取り出して救った。彼らには火の中にいた時の焼け跡が残ってる。まだ罪による咎と傷が残っている。しかし、わたしは自分が選んだ民を決して見捨てたりはしない」

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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