神だけがおできになる | |||||
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神だけがおできになる
神は、第五の幻を通して、彼らの疲れた心を新たにし、励まされる。特に、当時の政治指導者であった総督ゼルバベルを励まされる。預言者ハガイとゼカリヤを通して神殿再建の命令を与えられたが、そのことを成し遂げるべき政治指導者はゼルバベルなので、ゼルバベルの心に勇気を吹き込むために、この幻にゼルバベルの名を登場させたのである。
ゼカリヤが見た幻には純金の燭台が出てくる。燭台の上部には鉢があって、その鉢の上には七つのともしび皿があり、そのともしび皿には七つの管がつながっている。そして、その燭台の左右には二本のオリーブの木がある。
燭台は、神殿の中で重要な意味のある聖なるものであった。この神殿の中にあった燭台は“メノラ“と呼ばれるが、ユダヤ民族の最も重要な象徴物である。今もイスラエルの国会の前には大きな青銅の燭台がある。神殿の中にある燭台は、ただ暗闇を照らす役割だけでなく、神の聖なる臨在を告げる象徴であった。燭台の火がいつも灯されていることは、神が生きておられ、すべての民を見ておられ、まどろむことも眠ることもなく、すべての祈りを聞いておられるということを意味している。
ところが、イスラエルが罪を犯すことで、神殿は破壊され、燭台の光は消えてしまった。神はこの幻を通して、昔の神殿の燭台よりもはるかに明るい、新しい燭台を見せてくださった。
ゼカリヤが見た燭台と昔の神殿の中にあった燭台の間には、三つの重要な相違点がある。
一つめに、昔の神殿の燭台には油の鉢が別にあったが、幻に出てくる燭台にはその上部にともしび皿があるので、直に油の供給を受けることができた。
二つめに、幻の中の燭台は、鉢が上部にあるだけでなく、その鉢と燭台をつなぐ管がとても多かった。原語では管が“七つずつ七つ”と言っているので、49の管があることになる。49の管で油を供給できるので、昔の燭台よりもどんなに明るい燭台だったであろうか。
三つめに、幻の中の燭台の左右には二本のオリーブの木があった。昔の燭台は祭司たちが毎朝油を持ってきて補充したが、新しい燭台は祭司を必要としなかった。左右にある二本のオリーブの木から直接油が供給されるからである。
ゼカリヤが御使いにこれらは何かと問うと、御使いがこの純金の燭台が意味するところを説明してくれた。
ゼカリヤ4:6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』 と万軍の主は仰せられる。」
なぜ神殿再建が中断されたのであろうか。ゼルバベルが自分の力と自分の能力でしようとしたからである。どうしたら神殿再建が可能二なるのだろうか。それは、ただ神の霊によってのみ可能となるのである。
ここで「権力」と翻訳された単語は軍事力や財力を意味し、「能力」と翻訳された単語は人間個人の肉体的な力や才能などを意味する。ゼルバベルは、ペルシヤから付与された政治力によって神殿再建を始めたが、さらに大きな政治勢力による妨害が起こると、すぐに自分の政治力に限界を感じた。ゼルバベルは、ペルシヤから支援された物資によって工事を始めたが、民の自発的な献身の後押しがなかったため、すぐに限界にぶつかった。ゼルバベルは、全力を尽くして働こうとしたが、彼の気力はすぐに尽きてしまった。指導者が再充電されずに気力をすべて使い果たしてしまうと、すぐに疲れ果てて倒れてしまう。
神はこの幻を通して、ゼルバベルに何を教えてくださったのであろうか。
一つめは、現在の神の民の姿は、油が供給されなくて光を放つことができない燭台のようだということである。あまりにも長い間使われていなかったので、さびてしまった燭台のようだというのである。この燭台は、全世界に光を放つように選ばれた神の民を意味する。イエスは聖徒たちのことを世の光と呼ばれた。
マタイ5:14-16 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。