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聖書的な妻 講座: 夫を愛する
by.CGNTV
hit 22 recomend 4 2018-01-29 16:58:08

聖書的な妻 講座: 夫を愛する      

 

トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク

 

Introduction

結婚式の日に交わされた誓約を覚えているでしょうか。「健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、この人を愛し、いのちある限り、真心を尽くすことを誓います」と誓ったことでしょう。どんなときも配偶者を最後まで愛するという、厳粛な誓いです。

ところで、この誓約は、新郎新婦の間でなされたのではありません。互いに対して愛を決断したのではなく、ふたりの間におられる神様に誓約をささげたのです。神様が結び付けてくださった配偶者を最後まで愛すると、神様に誓願をささげたのです。

神様にささげた誓願は、簡単に破ってはなりません。聖書に、「人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない」(民 30:2)とあります。ですから、結婚は簡単にあきらめてはなりません。最近、社会的にも法的にも簡単に離婚がなされていますが、本来結婚は神様に誓願したものだということを忘れてはなりません。信じる人にとっても信じない人にとっても、神様のことばは絶対的な基準であり、真理です。もちろん、さまざまな事情や状況もありえますが、いずれにしても結婚は神聖な約束、すなわち誓約なのです。

「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。……それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マタ 19:4~6)。この主のみことばを握って、結婚を守り抜く皆さんになられますよう願います。

 

1. 夫を愛する

結婚を守るためには、夫を愛さなければなりません。結婚した瞬間から愛する努力をしなければなりません。愛は簡単ではありません。自然にできることではないからです。愛には学びと決断と努力が必要です。では、どのように夫を愛することができるでしょうか。まず、いくつか基本的な心構えが必要です。

 

1)夫に献身し、高い期待値を低くする

人間に対する理解は、早く悟るほどよいものです。結婚は、天使と天使が出会ったのではありません。幸せな結婚生活を始めるためには、配偶者に対する期待値を低くしなければなりません。夫はどんな人ですか。冷静に見てみると、弱点もあり、過去の傷や悪い習慣もあり、怒りやすい人であるかもしれません。いつも妻に配慮し、自らを犠牲にし、利他的で責任感が強く、良い習慣だけを持っている男性は、ほとんどいないでしょう。完全な人格を持った人もいません。聖書でも「義人はいない。ひとりもいない」(ロマ 3:10)と言っています。主の前に全き義人はいないのです。どんなにすばらしい人格者に見える人でも、一緒に暮らしてみれば、自己中心的で、利己的で、敏感な部分や悪い習慣が見えてくるものです。

私たちは、結婚するとき、配偶者が自分を永遠に愛してくれることを期待しました。夫が頼れる保護者になり、安定感と幸せを与えてくれると信じていました。しかし、結婚した後、現実はどうですか。あなたの結婚生活は、あれほど夢見ていたすべての期待が満たされていますか。期待と幻想が失望とむなしさに変わってはいないでしょうか。

夫への期待値を最初から低くしてください。そうすれば、失望感もはるかに小さくなるでしょう。自分の願うとおりにしてくれなかったら、「当然だ」と思いましょう。逆に、自分によくし続けてくれたら、「おかしい」と思うくらいが丁度良いのです。初めから期待値を下げましょう。全く期待しないで、それでも愛するようにしてみましょう。そして、自分のほうから愛を実践してみましょう。確かに、それは難しいことです。しかし、愛の真の意味を悟るなら可能になります。

本来、愛は、相手の資格や条件とは関係のないものです。相手がいとしくて愛するのではなく、相手がいとしくないから愛せないというのも間違っています。愛は対象の問題ではなく、愛する側、つまり自分の問題だからです。自分に真の愛があれば、どんな人でも愛することができます。夫が愛される価値のある人でなくても、それでも愛してみてください。そのように愛し続ければ、かえって夫が愛されるにふさわしい人へと変えられていくでしょう。

 

2)自分のための愛か、夫のための愛か

私は自分自身に次のような質問を投げかけてみたことがあります。「私は夫を本当に愛しているのだろうか。愛という名の下で願い、求め、執着しているだけではないだろうか」と。夫がよく稼ぎ、私を守って支えてくれ、私に配慮し、幸せにしてくれることだけを願っていたのではないかと考えたのです。すると、夫を愛したというよりは、夫が私のために、私の願うとおりに存在してくれることを願ってきたのではないかと思わされました。

皆さんはどうでしょうか。本当に夫をありのままの姿で愛していますか。それとも、自分の願う夫になることを求めているでしょうか。夫の夢やビジョンを成し遂げられるよう、助けてきましたか。もしかしたら、よくお金を稼いでくれる人として制限し、自分の要求ばかりしてはいなかったでしょうか。一度じっくり考えてみるべき問題です。

コリント人への手紙第一13章5節には「(愛は)自分の利益を求めず」と説明しています。自分の利益を求める「利己的な愛」ではなく、夫の利益を求める「利他的な愛」が必要です。アメリカの精神科医スコット・ペックは、彼の著書『より豊かな人生』の中で、「愛は自分自身や、あるいは他人の精神的な成長を助ける目的で、自分自身を拡大させていこうとする意志だ」と定義し、それは「力を与える愛」であると説明しています。言い換えれば、愛は相手が発展し、成長するように助けるという意味です。イエス様は私たちを救い、いのちを与えるために、惜しみなくご自分を十字架に差し出してくださいました。また、聖霊を送ってくださり、聖霊の力によって私たちがさらに力強く成長できるようにしてくださいました。イエス様の愛こそが、最高に利他的な愛です。私たちは、イエス様の利他的な愛を学び続け、家庭で、また社会で実践しなければなりません。

 

2. 愛の三つの要素

しかし、「愛には感情も必要なのではないか」と問われるかもしれません。そうです。もちろん感情的な要素も必要です。さらに、友情的な要素や意志的な要素も必要です。

ギリシャ語では愛を「エロス」「フィリア」「アガペー」と区別して表現しますが、夫婦間にもそれらがすべて必要です。この愛の三つの要素が互いにバランスを保っているとき、夫婦の愛は健全で豊かになります。

 

1)エロス=感情的な要素=情熱

感情は人生を美しく豊かにしてくれます。感情自体には悪いものはありません。夫婦の愛も、エロス、つまりロマンや情熱などの感情的要素が欠けると、結婚生活は渇き、無味乾燥なものになってしまいます。夫婦のエロスの愛を失わないよう、いつも目ざめていなければなりません。

感情的な愛は、意外にも簡単に作り出すことができます。家にばかりいないで、雰囲気の良い所に行ってみてください。落葉の積もった道、華やかに花の咲いている場所、広々とした海、音楽が流れるカフェなどで、夫とデートしてみましょう。時には子どもをだれかに預けて、ふたりだけで映画を見て、外食するのもいいでしょう。その時には、深刻な話や積もり積もった感情を持ち出さないでください。非難や批判はエロスの愛をしぼませます。ただ一緒にいる時間を楽しみ、たくさん笑ってください。また家でも寝室をくつろいだ雰囲気に飾りつけてみましょう。そうすれば、すぐに感情を取り戻すことができます。

感情的な愛だけを強調するのも問題ですが、感情的な要素を無視するのもよくありません。ロマンチックな愛、感情的な愛、情熱的な愛、肉体的な愛が冷めないように努力する夫婦になりましょう。

 

2)フィリア=友情的な要素=友愛

エロスが熱い肉体的な愛だとすれば、フィリアは温かい精神的な愛として理解することができます。フィリアは、友だち同士の友情を意味します。実際、夫婦はベストフレンドにならなければなりません。だれよりも近い友だち、互いに精神的な交わりができ、一緒にいても気が楽で、互いの心をわかってあげる友だちのような愛が、フィリアです。時には一緒に趣味や余暇を楽しみ、あれこれといろいろな話をする関係です。また、同じ目的やビジョンを共有する同労者や同志のような関係です。

夫とフィリアの愛を深めるためには、まず、小言や非難や批判をやめなければなりません。夫の心に共感し、相づちを打ち、わかってあげましょう。夫と趣味も合わせてみましょう。夫と同じ本を読んで、それについて話してみるのもいいでしょう。そして、夫と水準の高い対話を分かち合えるよう、妻として精神的にも発展させましょう。もちろん、妻ひとりで一方的にできることではありませんが、妻が知恵深く戦略を立てて夫とフィリアの愛を発展させていくことが大切なのです。

 

3)アガペー=意志的な要素=決断

アガペーの愛は、結婚生活を最後まで維持させるのに、最も重要な要素です。責任感のない愛は、まことの愛ではありません。アガペーの愛は、どんなことがあっても、配偶者を最後まで大切にし、愛するという決断的な愛です。「何があっても」「それでも」「条件と関係なく」愛するという犠牲的な要素です。

夫婦が暮らしていれば、熱い感情の愛が枯れることがあります。そんなとき、私たちは、愛が冷めたといって、簡単に結論を下してはなりません。感情だけが愛ではないからです。そんな瞬間にも、配偶者をもう一度愛すると決断するのです。そうすれば、もう一度うっとりするようなエロスの愛を取り戻すこともあります。アガペーの意志的な愛は、結果的にエロスの感情的な愛とフィリアの友情的な愛を深めてくれるのです。

神の愛はアガペーの愛です。私たちの資格とは関係なく、最後まで愛してくださいます。アガペーの神は、罪人であった私たちを見捨てられませんでした。また、神の愛はフィリアの愛です。神様は私たちを友、仲間、同労者として召してくださいました。また、神の愛はエロスの愛です。旧約の雅歌を見ると、私たちを愛し、慕われる情熱的な愛が描かれています。愛には三つの要素がすべて必要です。愛の三つの要素がバランスを保つように努力してください。この三つのうち、アガペーの意思的な愛こそが、私たちの結婚を永遠のものにする、まことの愛であることを忘れないでください。

 

祈りましょう

結婚制度を創造された神様。周りの多くの夫婦が離婚を選択しています。また、今も離婚を考えている家庭があります。彼らがもう一度、家庭の永遠性を悟り、神様の愛により家庭を守ることができますように。私も夫のために祈る妻になり、知恵深い夫婦の愛をもう一度築いていくことができますように。そのために、まず私が毎日主の愛の感激を味わうことができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

 

イ・キボク

トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2018年1月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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