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福音の宣教に命を懸ける生涯 使徒言行録 20章24節
by.CGNTV
hit 575 recomend 192 2018-02-12 17:50:46

福音の宣教に命を懸ける生涯 使徒言行録 20章24節      

 

ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 主管牧師 峯野龍弘

 

間もなくすると、ハ・ヨンジョ師が天に凱旋されて満8年になります。しかし、歳月が経てば経つほど、小僕にとってはハ・ヨンジョ師がますます身近な存在に思えてくるのは、何とも不思議なことでもあり、それ以上に幸いなことでしょう。昔から卓越した先人たちが、「真の偉人は、後世に至れば至るほどその偉大さが偲ばれ、その尊さが知られる」と言われ、聖書では「アベルは死にましたが、信仰によって、まだ語っています」(ヘブ 11:4)と記されているように、ハ・ヨンジョ師の偉大さとその存在感は、満8年を経た今日なお、小僕の心の内にあって増大しつつあります。それは、断じて単なる人物崇拝や、ましてや人間礼賛ではありません。その純粋な真実一筋の信仰の姿勢と、福音の宣証のために命を惜しまず捧げ尽された聖なる生きざまに対する強烈な共感が、歳月が経てば経つほど、これまた強烈に甦って来るからです。まさしくハ・ヨンジョ師は、紛れもなくそのようなお方でした。

そしてハ・ヨンジョ師を想う時、使徒パウロの言葉が鮮明に甦ってまいります。すなわち、「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使 20:24)という言葉です。

この言葉は、パウロが聖霊の強い促しを受けて、弟子たち並びに人々の切なる引き留めをも退けてエルサレム行きを敢行する直前に、自らを待ち受ける迫害と殉教を予感しつつ、駆け付けたエフェソの長老たちに向かって語った、いわば“告別の辞”でした。この後、パウロは、エルサレムへの船出を前にしてカイザリアに立ち寄った際、再び弟子たちやカイザリアの人々から、エルサレムに上らないよう涙ながらに懇願された時、更にこう言って彼らの言葉を退けました。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(使 21:13)と。何という鮮やかな、かつ強烈なパウロの心意気、決意であったことでしょう。そこには微塵の躊躇も恐れもありませんでした。そこには引き留めにかかった人々は、もはや口をつぐむ以外にすべがありませんでした(同 21:14)。ハ・ヨンジョ師の日本宣教に寄せる心境と決意・覚悟も、全くパウロと同様であったに違いありません。実に、ここにこそ真に力ある福音宣教者の理想の模範を見る思いがいたします。

ここで決して見落としてはならない事があります。それは、この決意・覚悟が、断じて人間的自力からの決断や信念ではなかったということです。すなわちパウロは、その思いが決して自らの願望から出たものではなく、明確に自らの意志や計画を遥かに越えた、主御自身の御心から出たものであることを確信していたからです。ですから彼はこう言ったのでした。「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(同 20:22~23)と。それはまさに、彼自身から出たものではなく、聖霊ご自身による主の御心から出たものであったのでした。

ですからパウロはこれを自分自身の決めた道と言わず「自分の決められた道」と呼び、ひたすら一筋の道を「走りとおした」のでした。なぜなら彼は、これこそが自らの果たさなければならない「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務」(同 20:24)であることを強く認識させられていたからです。それでパウロはこの「福音を力強く証しする任務」を全うするために、“ひたすら一筋に、最後の一息まで”走り続けたのです。

のみならず、そのために彼は真の福音宣証者としてその“一回限りの主から賜った尊い生涯”を完全燃焼させるために、以下のような心がけをもって「走りとおした」のでした。「自分を全く取るに足りない者と思い」、全き謙遜をもって、「涙を流しながら」全き真摯な心で、「この身にふりかかってきた試練に遭いながらも」全き忍耐をもって(使 20:19)、「一つ残らず、公衆の面前でも方々の家々でも」「ユダヤ人にもギリシア人にも」、場所と相手を選ばす徹底的に(使 20:20~21)、そして「命すら決して惜しいとは」思わず(使 20:24)、福音の宣教のために命を懸けて、「走りとおした」のでした。ここにこそ“福音に宣教に命を懸ける生涯”を歩んだパウロとハ・ヨンジョ師の真の福音宣教者の雄姿を仰ぎ見る思いがいたします。ハレルヤ!

 * 聖句の引用は「新共同訳聖書」によります。

 

峯野龍弘

1939年、横浜生まれ。1962年、日本大学法学部法律学科、1965年、東京聖書学校卒業。2006年、米国アズベリー神学校、2008年、韓国トーチ・トリニティ神学大学より名誉神学博士号授与。1965~68年、日本基督教団桜ヶ丘教会にて牧会。1968年より現在までウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の牧会にあたるとともに、各地のブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2018年2月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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