だれのための断食なのか | |||||
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だれのための断食なのか
ゼカリヤ書7章は、教会の歴史が進むにつれて生じてくる問題に対して、神がどのように語られたかを記している。
この出来事は、ダリヨス王の第四年の第九の月、キスレウの月の四日に起こった。神殿建設工事がダリヨス王の第二年に再開され、第六年に完成されたので、神殿再建工事が始まって約二年がたった時で、工事が半分ほど進んだ頃である。ベテルの人々が祭司たちと預言者たちに尋ねた。
ゼカリヤ7:3 万軍の主の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」
「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか」。この問いは、ベテルに住む不特定少数の人々がただ好奇心で投げかけた問いではない。ベテルの町全体から代表団を遣わして問いかけたのである。
この時はダリヨス王の第四年の第九の月であると言っているので、毎年くり返されてきた第五の月の断食が終わって四か月が経った頃である。ベテルの人々は、その時まで四か月間もこの断食の問題と関連した論争をしてきたものと思われる。初代教会の聖徒たちが割礼の問題で長い間論争した後、使徒の働き15章の最初のエルサレム会議でけりをつけたように、祭司たちと預言者たちにこの論争にけりをつけてもらうために質問を投げかけた。彼らは70年の捕囚生活の間続けてきた国家的な断食の伝統を続けるべきかと質問したのである。
ところで、なぜ突然ゼカリヤ書にこのような質問が出てきたのだろうか。ゼカリヤ書の中心主題は神殿再建なのに、この質問は神殿再建と何の関係があるのだろうか。
第五の月の断食は、紀元前586年、バビロンの王ネブカデネザルの第19年の第五の月の七日、エルサレムの神殿と王宮とエルサレムのすべての家が破壊された出来事(Ⅱ列王記25:9-10)を覚えて悲しみ、断食して始まった伝統である。その後、第七の月の断食が追加されたが、これはバビロンのネブカデネザル王によってユダの地に残っていた人々を治めるようユダの総督として任命されたゲダルヤが、過激な国粋主義者たちによって第七の月に悲惨な殺され方をしたことを悲しんで行なった断食であった。このような断食は、1か月間ずっと何も食べない断食ではなく、食べ物を部分的に節制する断食であった。
要するに、彼らの質問は、過去70年の捕囚生活の間、この出来事を覚えて泣いて断食してきたが、神殿が再建されてからも、あえて神殿が破壊された日を覚えて悲しむ必要があるのかと尋ねているのである。過去の悲惨な失敗を記念するための断食は、進歩的な人々の目には不必要なものに見えたのである。
民族の滅亡を目の当たりにし、体験した人々が断食して流す涙は、真実で切実だったことだろう。しかし、70年のバビロン捕囚生活の間に生まれた世代は、それほど悲劇的な出来事を経験したことがないので、それまで義務感で断食をしていただろうから、神殿を再建する状況では断食は必要ないと思ったのである。韓国でも、朝鮮戦争を経験した世代とそうでない世代との間には朝鮮戦争を記念する日(6.25)に対する温度差がある。確かに、戦争を経験していない世代はその日にあまり興味がない。
そのような点で、彼らの質問は一理あるように思える。しかし、この質問に対する神の答えはかなり衝撃的である。神は、伝統として守ってきた断食を守るべきか否かに対して、明確な答えをされない。しかし、彼らの質問に答えることにより、当時のイスラエルの霊的状態を指摘される。
事実、律法に明示された断食は、大贖罪日の断食しかない。それ以外の断食は、人が定めたものなので、してもしなくてもよい。問題は動機と実である。神は、私たちが断食をするかしないかではなく、どのような動機でするのか、そして、その実が何であるのかをもっと重要視される。
本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。