神の懲罰 | |||||
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神の懲罰
神は、神の民がまことの信仰から離れて罪を犯したとき、懲罰を与えられる。
ゼカリヤ7:13-14 「呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない。」と万軍の主は仰せられる。「わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを追い散らす。この国は、彼らが去ったあと、荒れすたれて、行き来する者もいなくなる。こうして彼らはこの慕わしい国を荒れすたらせた。」
本文に出てくる神の罰は三つである。
一つめの罰は、神が祈りを聞かず、拒絶することである。「呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない」というのは、神が私たちの水準のように復讐されるということではない。私たちの罪が神の応答を妨げるということである。
箴言1:27-30恐怖があらしのようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。
二つめの罰は、神がつむじ風によって散らすことである。申命記28章で、不従順な者たちに与えられる罰の一つが、散らされることである。
申命記28:64主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。
聖霊の風とともに動かなければ、神のつむじ風によって願わない所に散らされることに
なる。聖霊の風が吹く所にともに動かなければならない。
使徒の働きのエルサレム教会が、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで福音を伝えよとのみことばに従わず、散らされることを願わなかったとき、教会に大きな迫害が起こって、みなが散らされた。風が吹き飛ばすもみがらが、自分の意思とは関係なく、風が吹くままに飛ばされるように、悪者は自分が願わない所へと飛ばされる。神の御心に不従順で、まことの信仰から遠ざかってしまった教会は、神のつむじ風によって散らされる。
三つめの罰は、神が与えてくださった美しい地が荒廃した地になることである。約束の地がのろいの地になってしまった。地はいつもそこに住む人に応じてその状態が違ってくる。のろわれた地のように見えても、祝福された人々が住むなら、その地は祝福の地となり、祝福の地のように見えても、のろわれた人々が住むなら、その地はのろいの地となる。このような懲罰も、すでに申命記28章で預言されたものである。
申命記28:38-39畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。いなごが食い尽くすからである。 ぶどう畑を作り、耕しても、あなたはそのぶどう酒を飲むことも、集めることもできない。虫がそれを食べるからである。
本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。