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イエス様を信じることは恵みです ~奥村拓也牧師のメッセージ  
by.CGNTV
hit 677 recomend 140 2018-08-27 14:17:42

イエス様を信じることは恵みです ~奥村拓也牧師のメッセージ    

 

日本CGNTVの番組より

 

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(ヨハ 14:6)。

2017年10月31日は、宗教改革5百年の記念日でした。ルターが唱えた信仰義認の教理は「信じる」という点に重点が置かれがちですが、ルターが発見したのはその逆でした。「神の恵みのゆえに信仰によって救われる」、つまり、神様からのアプローチが先だというのです。スイスの宗教改革者カルヴァンも、神の優先性を語り「人間は神の栄光を現すために造られた。そしてそれを実現するのはキリストの恵みである」と語りました。私たちの救いは神様のギフトであり、私たちの側に理由はないということです。愛される資格のない者を愛してくださる神様の愛、私たちが努力で勝ち得たものでもなく、私たちが稼いだものでもありません。さらに言えば、神様の目には、私たちの側には良いところは一つもないのです。

この原罪の教理は、実は人間にとってやさしいものです。なぜなら、神様は私たち人間が犯す罪や失敗も全部含めて救う計画を、キリストを通して用意してくださったからです。イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」とおっしゃいました。これは、トマスの質問に対する答えでした。「トマスはイエスに言った。『主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう』」(ヨハ 14:5)。十字架を前に不安を覚える弟子たちの代表としてだったのでしょう。

イエス様は「その道」という言葉に対応する形で「道・真理・いのち」という言葉で答えられました。真理といのちに至る道、そしてその道にはゴールがあります。真理のゴールは、父なる神様です。イエス様はおっしゃいました。「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハ 14:6)。これは、イエス様を信じなければ地獄に行くという排他的な意味ではありません。イエス様の周りには罪や弱さを抱えた人たちが大勢いましたが、そのような人たちも、ただイエス様を信じるだけで救われると言われたのです。このみことばの本当の意味は、神様の側から差し出してくださった恵みを通してのみ、人は救われるということです。人間の頑張りや信心深さによるのではないのです。

信仰とは、神様の祝福を流す管のようなもの、あるいは幹につながる枝のようなものです。ですから、信仰そのものが偉大であるかのように理解するのは間違っています。むしろ信仰さえも神様の賜物だとパウロは言っています。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」(エペ 2:8)。

私たちは、神様が恵みを差し出してくださったとき、ためらわずに手を出して受け取ります。これがまさに信仰です。このヨハネの福音書14章6節のみことばは、救いは人の努力や熱意によるのではなく、どこまでも神様の側から与えられた恵みであり、イエス・キリストによって成し遂げられるということを表しています。

では、「父に出会う」という出来事は、死んだ後の出来事なのでしょうか。実はそうではなく、すでに体験したこととしてイエス様は語っておられます。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか」(ヨハ 14:9)。弟子たちはすでに父と出会っていたのです。すでに神の国のただ中に生かされているのだという、今ここにある終末をイエス様は語っておられるということです。

あなたもイエス・キリストを救い主として信じたでしょうか。もしそうなら、あなたはすでに神と出会っています。天にあるすべての霊的祝福を受け取って、神の国のただ中に生かされているのです。

聖書は、信仰を持てば苦しみがなくなるとは約束していません。むしろ神様は、子どもたちが成長し、義の実を結ぶよう、あえて試練の中を通過させることもあります。しかし、不安のただ中でも、神様のゆるぎない平安をいただくことができます。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハ 14:27)。苦しみを乗り越える確かな平安がここに約束されています。

私たちは、自分の善行や才能、功績などに目を向けがちですが、それらは一瞬にして消えてしまいます。しかし、キリストを通して与えられる神の恵みは永遠に続くのです。

 

奥村拓也

1969年京都生まれ。

大阪キリスト教短期大学 神学科 専攻科卒業。現在、世界福音伝道会・洛西キリスト教会の牧師として仕えている。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2018年8月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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