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ESSAY
真実と平和と祝福の町イスラエルを見よ(2)
by.CGNTV
hit 347 recomend 139 2018-08-28 10:52:37

真実と平和と祝福の町イスラエルを見よ(2)

 

 第三の恵みは、エルサレムが祝福の町となることである。

 

 ゼカリヤ8:12 それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。

 

 種が育ち、木が実を結び、地が産物を出すということは、きわめて自然なことのように思われるが、神の恵みなしには決して平安に収穫できない。収穫が平安に成し遂げられるのは、決して自然なことではない。時には突然見舞った台風によって育っていた木々が倒れ、天から雨が降らなくて田畑が荒野のように乾いてしまうこともある。

 多くの人々は蒔かずに刈り取ることを期待するが、まことの祝福は蒔いたとおりに刈り取る祝福である。この世は蒔いたとおりに刈り取れない世である。自分が苦労したとおりに刈り取ることができるなら、それは神の恵みである。

 ハガイ書1章は、彼らが神と神殿に関心なく生きていたときの様子を次のように描写している。

 

 ハガイ1:10-11 「それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた。」

 

 神は「地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた」と言われたが、いまや神が再び露を降らし、地が実を結ぶように恵みを注ぐと言われる。

 繁栄の恵みは三番目に重要な恵みである。一番目が真実である、二番目が平和であり、三番目は繁栄である。近頃はこの順序が入れ替わって、一番目は繁栄で、真実は最後である。いや、最後でも順位に入っていれば幸いだが、順序にすら入らない時代になってしまった。この国のために祈るとき、まず初めに真実の国となることを祈らなければならない。それから、平和の国となることを、そして繁栄の国となることを祈らなければならない。

 このような恵みは、人々の目には不思議に見えるほど驚くべき恵みである。今の姿を見ると、想像しがたい姿だからである。今のエルサレムの姿を見ると、真実とはほど遠く、安全でも平和でもなく、そのうえ繁栄とはかなりかけ離れているように見える。人々の目には荒廃してしまった不安定なエルサレムが、やがて真実の町となり、平和の町となり、繁栄の町となることは不思議なことであり、信じられないことであるが、神が恵みを注ぐと決められたら、それは決して不思議なことではない。万軍の主が言われたなら、必ず成就するからである。

 

 ゼカリヤ8:6 万軍の主はこう仰せられる。「もし、これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか。――万軍の主の御告げ。――」

 

 その日、このことはこの民の残りの者の目には不思議に見えるだろうが、だからといって、それが神の目にも不思議に見えるだろうか。それゆえ、力を出して、恐れずに神殿を完成させようというのである。これから完成される神殿を中心に

して、エルサレムは真実の町となり、平和の町となり、祝福の町となるからである。

 

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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