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ESSAY
喜べ、王が来られる(2)
by.CGNTV
hit 18 recomend 1 2018-10-23 10:59:44

喜べ、王が来られる(2)

 

 預言とは、未来を知っていてこそ、できることである。正確に言えば、自分の思いどおりに未来を治めることができてこそ、できることである。神は御心どおりに歴史を治めておられるので、未来を知っており、未来を私たちに告げることで、現在私たちが神の御心どおりにいきられるように助けてくださる。

 聖書のすべての預言は、イエス・キリストに焦点を合わせている。

 

ルカ24:44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」

 

 旧約全体がイエスに対して預言した記録だということである。歴史全体はイエスに焦点を合わせているが、具体的な預言は二百を超える。これらすべての預言がたったひとつを除いてすべてそのとおりに成就した。そのたったひとつとは何であろうか。それはイエスの再臨である。

 ヒュー・ショーンフィールドという新約聖書学者は、著書「過越の祭の陰謀(The Passover Plot)」で、イエスが故意に陰謀を企て、それらの預言が成就したかのように見せかけたと主張している。しかし、仮にも聖書学者を名乗る人が、そんなことが可能だと主張すること自体が信じがたい。どうやってひとりの人がすべての預言を統制し、すべての奇蹟と十字架の死と復活までもでっちあげ、それを人々に信じさせることができるというのであろうか。

 彼の主張によると、イエスは、自分の出生がベツレヘムであるという偶然の一致を利用して、群衆には自分がさまざまな奇蹟を起こしたという噂を広めてくれと買収し、イスカリオテ・ユダには自分を裏切って自殺してくれと頼み、ユダヤの指導者たちにはピラトを圧迫して十字架刑を受けさせてくれと頼み、ローマ兵士たちには自分を拷問する際に手柔らかにせず、ほふり場の連れて行かれる羊のように残酷にしてくれと頼み、ピラトには罪が見つからなくても死刑を申し渡してくれと頼み、アリマタヤのヨセフには石の墓を借り、弟子たちには自分が死んだら死体を盗んで、復活したとうそを言ってくれと頼み、また、そのうそを最後まで守るために、みな殉教してくれと頼んだというのである。はたして実現可能な話であろうか。

 イエスにあってなされた旧約の預言の成就が陰謀でないならば、偶然の一致だと主張する人もいる。旧約の預言がイエスによって偶然に成就する確率を科学的に計算した人もいる。「科学は語る(Science Speaks)」を著したピーター・ストナーは、ある人に対する八つの預言がすべて実現する確率は10の17乗分の1であると計算した。10の17乗という数字は、銅貨でアメリカ・テキサス州全体を60cmの高さで覆うことのできる数であるが、10の17乗分の1の確率とは、その中のひとつの銅貨に目印をつけておき、すべての銅貨を混ぜた後、ひとりの人が目隠しをして自分が好きなだけ歩き回り、目印をつけておいた銅貨を探し出す確率であるという。48の預言が実現する確率は、10の157乗分の1である。偶然の一致ではとうてい不可能なことである。歴史を思いどおりに実現できる方がおられない以上、とうてい実現しないことである。

 

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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