嘆き悲しみは祝福である | |||||
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ゼカリヤ書12:10-14
韓国教会史の生き証人であった万之日(バンジイル・1911-2014)牧師に、ある出版社がインタビューした内容がある。
「お見受けしたところ、大変ご健康でいらっしゃいますが、その秘訣は何でしょうか」
「特にこれといった秘訣はありませんが」
「でも、このお歳までご健康を維持してこられるには、何か特別な秘訣がおありなのでは?」
すると、方牧師は次のように答えられた。
「しいて言うなら、心臓運動をしています」
方牧師の言う心臓運動とは、心臓が自ら鼓動する運動とは異なる。方牧師は、午前二、三時頃に起きて、メッセージの準備をしたり学んだりするが、この時、みことばが照らし出す光の前で自分の罪と過ちが一つ残らず明るみに照らされると、痛悔の涙を流す。すると、心臓が高鳴るとのことであった。つまり、方牧師の言う心臓運動とは、神の前で流す嘆き悲しみの涙である。この嘆き悲しみの涙 が心臓をさら に活発に運動させ、これまで健康に導いてくれたという信仰告白なのである。 詩人イム・ビョンゴンの『涙礼賛』という詩が思い出される。
涙は薬です。 涙はただの水ですが、流れた後には
体に免疫力が生じる総合ビタミンです。
涙は解毒剤です。 高潮のように押し寄せ、心の奥底をくつがえし
憂うつと絶望を押し出す殺菌水です。
涙は神秘的な液体です。
溶けた熱い鉄でも溶かせないほどカチカチに凍りついた 敵の心も、春の雪解けのようにとかします。
涙は天の種です。 心ゆくまで泣いた後は明るく笑い 涙を蒔けば、喜びを刈り取ります。
涙は約束です。 雨上がりに希望の虹が浮かぶように 涙の後、契約の虹が浮かびます。
涙は恵みです。
涙の祈りが水蒸気となって上っていくと
恵みの雨となってしとしとと降ります。
ああ! 涙を流す者は幸いです。
悔い改めの涙は逆に流れる。地に落ちるのではなく、天にまで上り、祝福と恵みの雨となって降って来る。ダビデは、悔い改めと切なる祈りの中で多くの涙を流しながら、神にこのように祈った。
詩篇 56:8 どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。
神は、私たちが神の前で罪を嘆き悲しんで流す悔い改めの涙を、皮袋にたくわえてくださる。そして、いつかその涙を喜びの雨に変えて降らせてくださる。
預言者ゼカリヤは一二章で、後に来られるメシヤの死によって、彼を仰ぎ見るすべての人々が悔い改めて嘆くことを預言している。12章10節から14節までの短いみことばの中に嘆くという単語がくり返されている。深い嘆きの涙が川のように全世界を覆うというのである。
この涙は思いもよらない失敗で流す涙ではない。受け入れがたい苦難の苦しみで流す涙でもない。
この涙は、神の前で自分の罪を悲しんで流す嘆きの涙である。聖霊が臨まれることで生まれ変わったたましいが流す、悔い改めの涙である。
本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。