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キリストと共に死に、キリストによって生きる喜び
by.CGNTV
hit 1111 recomend 125 2019-06-17 11:13:24

キリストと共に死に、キリストによって生きる喜び

 

東京基督教大学学長 山口陽一

 

1981年のイースター礼拝でした。大学4年生になった私は卒業後の進路について思いを巡らせていました。教職課程を履修し、学芸員資格も目指しており、学業と教会とキリスト者学生会(KGK)を中心に学生生活を送り、障がい者の自立支援のボランティアをしていました。父からは、江戸時代から続く家業の継承をやんわりと期待されていました。

イースター礼拝で語られたみことばは、「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです」(ルカ 24:5~6)でした。私は、卒業後の進路の思い巡らしが「生きている方を死人の中に捜すこと」ではないかと示されました。同時に、よみがえられた方と共に生きてゆくことができるということの喜びが心の底から沸き上がり、大きくなり、嬉しくてたまりませんでした。下宿に帰ってからもずっと主を賛美していました。ちょうどその日、腕時計が止まってしまったのですが、止まった針を見つめながら、「自分のために生きることは今日で終わりにしよう。これからは私のために死んでよみがえられた方のために生きていこう」と思いました。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラ 2:19~20)ということは、頭ではわかっていました。キリストの復活も疑ってはいませんでした。しかし、この日から「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」は、私の信仰となりました。この日、私はすでに与えられていた恵みに気づき、感謝してこれを受け取りました。クリスチャンとしての献身でした。

私にとって、それは牧師への召しでもありました。その時まで牧師になりたいとも、なれるとも、一度も考えたことはありませんでした。ですから、それが自分の思いではなく神からのものであると、自然に信ずることができました。

 

『ハイデルベルク信仰問答』の第43問は、次のように問い、答えています。

問 「十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか」

答 「この方の御力によって、わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、ということです。それによって、肉の邪悪な欲望がもはやわたしたちを支配することなく、かえってわたしたちは自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ献げるようになるのです」

「私はキリストとともに十字架につけられました」ということは、「わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られ」たということなのです。何と痛快なことではありませんか。

そして、45問は次のように教えています。

問 「キリストの『よみがえり』は、わたしたちにどのような益をもたらしますか」

答 「第一に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によってわたしたちのために獲得された義にわたしたちをあずからせてくださる、ということ。第二に、その御力によってわたしたちも今や新しい命に生き返らされている、ということ。第三に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりはわたしたちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということです」

「古い自分」はキリストと共に十字架につけられ、死んで、葬られました。私たちはキリストの義をいただき、新しい命に生き返らされ、よみがえりの保証を与えられているのです。

(吉田隆訳『ハイデルベルク信仰問答』信教出版社)

 

皆さんはいかがでしょうか。「古い自分」が死ななくて困ってはいませんか。汚れた思い、怒りや不安、断ち切れない悪習慣、妬みや高ぶり、赦せない心、等々。私も同じです。いつまでも「古い自分」がしぶとく生きていて、死に切れていません。しかし、キリストのよみがえりによって「わたしたちも今や新しい命に生き返らされている」という事実に目をとめるようにしています。順序としては、古い自分に死のう、死ねないと悩むより、「キリストが私のうちに生きておられる」ことを喜ぶことにしています。闇がなくなるのは、光が射し込むときです。自分の闇を悲しんで悶々とするよりも、目を上げてよみがえられたキリストを喜び迎えましょう。

イースターを迎えるごとに、献身に招かれたあの日のことを思い、初心に返ります。生けるキリストと共に教師になっても、学芸員になっても、福祉の仕事をしても、家業を継いでもよかったと思いますが、伝道者・牧師として召されたことはありがたいことです。

* 聖句の引用は「新改訳2017」によります。

 

山口陽一

金沢大学法文学部卒業、東京基督神学校卒業、立教大学大学院文学研究科(修士)修了。2011年4月より東京基督教大学神学部教授。18年4月より 同大学学長。 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2019年4月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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