主が再び来られる | |||||
|
主が再び来られる
「イエスがこの地に初めに来られることによって天の御国が来た。イエスの最初のメッセージは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」であった。この地から天の御国に行くのではなく、天の御国がこの地にやって来たのである。しかし、天の御国はこの地で始まったが、まだ完成されてはいなかった。それゆえ、聖徒は二重国籍で生きていく人々である。この地の民であるとともに、天の御国の民である。この時代に属する人々であると同時に、後に完成される時代にも属する人々である。この地で始まった天の御国がイエスの再臨によって完成するのである。
歴史は、何の意味も目的もなく、自分勝手に流れていくものではない。歴史は、天の御国が完成する日に向かって流れていく。歴史は永遠ではない。歴史には終わりがあり、その終わりにイエスが再び来られることによって天の御国が完成する。そのため、未来の私たちの運命を決定づける最も重要な出来事は、イエスが再び来られることである。
イエスが初めに来られた時は飼葉おけに来られたが、再び来られる時は雲に乗って来られる。初め に来られた時は人々からさげすまれたが、再び来られる時は人々からあがめられる。初めに来られた 時はいばらの冠をかぶって苦しみを受けられたが、再び来られる時は栄光の冠をかぶって権能と大いなる栄光のうちに来られる。初めに来られた時は罪人の姿で来られたが、再び来られる時は地のすべての王として来られる。初めに来られた時は少数の人々だけに告げられたが、再び来られる時は天の端から端へときらめく稲妻のようにすべての人が確実にわかるように来られる。初めに来られた時は人々に悔い改めを語られたが、再び来られる時は悔い改めの機会さえ与えられない。初めに来られた 時は歴史がBCとADに分けられたが、再び来られる時は、歴史のThe End"があるだけである。 「ゼカリヤの最後の預言も、イエスが再び来られることで歴史の終わりが来るということである。イエスの再臨がすべての預言の最後の成就であり、私たちの信仰のクライマックスであり、この地上での人生の結論である。14章は、イエスの再臨の最も重要な質問、すわなち、いつ、どのように、なぜ来られるのかに対する質問で預言している。
本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。