




| Title | 礼拝とは、「集中」することです | ||
| Date | 2013-05-13 | Hit | 50 |
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礼拝とは、「集中」することです 韓国 ヤンジェ・オンヌリ教会担当牧師 ● パク・ジョンギル 神の愛に対する人間の最も美しい告白は、礼拝です。礼拝は、神の聖さの前に私たちの罪と恥を告白し、イエスの聖なる血潮によって全き赦しを受けることです。また、礼拝は、神をあがめ、賛美するものであり、いやしと回復を経験する出来事です。そして、礼拝は、神の聖さの前に、人間の汚れと欲がきよめられる巡礼です。 私は、未信者の家庭に生まれ、幼い頃一人で教会に通うようになりました。キリスト教の背景を持たない私にとって、教会の礼拝はあまり馴染みがなく、堅苦しい儀式でした。初めて歌う賛美歌、祈り、説教、祝祷など、教会の一連の礼式は、戸惑いを覚えるだけでなく、奇妙にすら感じられました。しかし、今振り返ると、当時私がキリスト教について何も知らないながらも、抱いていた神を恐れ敬う思いは、習慣化し、形式化してしまったどんな礼拝にもまして、神に喜ばれる礼拝ではなかったかと思います。からだは教会に来ていても、心は別の場所にあるなら、全き礼拝をささげたとは言えません。心から神を愛し、神のご臨在を慕い求めて、ささげる礼拝を、神は喜ばれます。神が定めておられないほかの方法でささげる礼拝、神が主人でなく、人が主人となっている礼拝を、神は決して喜ばれません。私が考える礼拝とは、「集中」することです。 まず第一に、礼拝は神に集中することです。礼拝の主人は神です。礼拝のすべての栄光を受けられる方は神です。「集中」は英語で“concentration”で、“con-”と“center-”という単語からなっています。「共に」「中心に」出て行くという意味があります。礼拝は、霊として臨在される神の前に出て行き、神の臨在の中に入ることです。一つの心と一つの道で、神に集中することです。 「わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え」(エレ 32:39)。 礼拝は一つの心で神を仰ぎ、一つの道で神に仕えることです。神を仰げば、神に似ていきます。神に似ていく過程が礼拝です。 第二に、礼拝は至聖所に集中することです。幕屋は、祭壇のある庭と聖所、至聖所を仕切ります。礼拝者は、神殿の庭だけに入る者ではなく、至聖所まで進んで行く者です。宮の奥深い所へと入る者は多くありません。そこまで至る時、より深くより多くの経験をすることができます。至聖所に集中するためには、血潮と純潔が必要です。汚れた罪と世俗の欲望を持ったままでは、神に出会うことはできません。聖別された生き方とみことば、そして、イエスの血潮によって生まれ変わったという告白がなければなりません。ですから、至聖所まで進み行く「至聖所の礼拝」を回復しなければなりません。これこそが、神の聖なる臨在と栄光を体験する礼拝です。 第三に、礼拝は十字架に集中することです。私たちは、礼拝の中でささげられる賛美とみことばと祈りを通して、十字架に集中しなければなりません。十字架は、私たちに対する神の「愛と苦しみの二重奏」です。十字架は、私たちの救いの門です。ですから、礼拝の中でささげられる賛美とみことばを通して、私たちは十字架を見上げなければなりません。賛美は、たましいの告白です。みことばは、私たちに対して語られる神の御心を知るための鍵です。祈りは、神との対話です。試練に会い、四方がふさがっているようでも、天は開かれています。また、祈りは、たましいの呼吸です。礼拝とは、賛美を通して神をあがめ、みことばを通して神の御声を聞き、祈りを通して私たちの心を分かち合い、十字架だけを見上げて集中することです。 第四に、礼拝は聖さに集中することです。聖なる神の御前で罪を悔い改め、心とからだが十字架の血潮できよめられる体験をすることです。礼拝とは、神の御前に立つ時間です。聖なる神の御前に立つために、私たちにはイエスの血潮が必要です。罪人であることを告白し、あわれみと恵みを求めるのです。礼拝は、二心を捨てることです。そうすることによって、聖なる神を仰ぎ見ることです。罪は、私たちを破壊します。罪によって壊れた私たちを回復させ、新しく生まれ変わらせてくれるのは、イエスの血潮です。聖さは、私たちに新しいいのちを与えてくれます。聖さは、私たちにイエスが必要だということを悟らせてくれます。真に大切なのは、自分ではなく、神なのです。 礼拝とは、神に、至聖所に、十字架と聖さに集中することによって、神が喜ばれる礼拝のために、すべての力と精神を注ぎ込むことです。神は、心からご自分を礼拝する礼拝者を求めておられます。だれが神を喜ばせることができるでしょうか。それは、礼拝者です。心から神を愛し、神を礼拝する人、そのような人を神は求めておられます。私たちは礼拝を通して、このような礼拝をささげる経験を通して、神に喜ばれ、世を変える礼拝者になることができるのです。 パク・ジョンギル 韓国長老会神学大学、同大学院卒業。中国宣教師、MBC信友会指導牧師、オンヌリ教会首席牧師、アメリカ、アルバイン・オンヌリ教会担当牧師など歴任。現ヤンジェ・オンヌリ教会担当牧師。 本文は、『リビングライフ STORY 2012年 5月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。 |
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