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神を求めて世から離れる
by.CGNTV
hit 523 recomend 157 2020-06-16 04:51:30

神を求めて世から離れる

 

リュ・ウンリョル ワシントン中央長老教会 主任牧師、ゴードン・コンウェル神学校 客員教授

 

 

イタリアのトスカーナの古い修道院を訪れたことがあります。風の音と時々聞こえてくる鳥の声以外に何も聞こえない修道院、人の痕跡すら感じられない修道院の庭を歩くと、寂寞を突き抜け数百年を超えて修道士たちの祈りの声が聞こえてくるような気がしました。

一言一言が私たちの思考を刺激する『砂漠の師父の言葉』は、4世紀に花開いた修道院の霊性を見せてくれる宝庫です。本を開くと、砂漠に入ってただ神の臨在に自分の人生をかけた修道士たちが静かに口ずさむ人生の知恵が聞こえてきます。

 

不便と孤独を買って出た人々

「砂漠の師父」は、おもにエジプト北部で生活した教父たちを指します。「修道士たちの父」と呼ばれたアントニウスは、251年に生まれ、18歳頃偶然福音を聞いてイエス・キリストとともに生きることを決心しました。34歳ですべてを捨てて砂漠に入り、356年に105歳で世を去った時は、多くの人々が彼に倣って砂漠の隠遁生活に加わった後でした。

砂漠の師父たちは修道院で読書と瞑想をしながら日常の中で神の御前に出ようとしました。彼らは自分を導いてくれた霊的な師父から徹底した従順を学び、祈りの中で雑念を取り除き、神だけに集中しました。質素な食事をし、不便な寝床で寝ていましたが、祈りを通して受ける神との交わりをたましいの限りない満足と喜びであると考えました。彼らは人のために苦しんで血を流されたイエス・キリストを真の師とし、主が受けられた十字架の苦しみを彼らが倣うべき模範だと考えました。彼らが砂漠で自ら実践した生活の不便と徹底した孤独は、恥と嘲りを受けられたイエス・キリストに近づく通路でした。

しかし、砂漠の師父の人生は、世との完全な断絶を意味するのではありません。世の誘惑を払い捨て、神の御前に単独者として立ったある修道者の言葉は意外です。「誘惑を経験しなかった人は天国に入れない。誘惑なしに救われる人もいない」 聖なる生き方を追い求めるということは、誘惑が全くない状況で生きることではありません。砂漠のど真ん中で空だけを見ている生活の中でも、21世紀の都市の道を駆けずり回る中でも、日常の誘惑の沼を渡らなければなりません。有能な船頭を作るのは平穏な海ではなく荒波なのです。

ある修道士が師父モーセに「どうすれば人が自分の隣人のために死ぬことができますか」と尋ねました。すると師父は、「墓に入ってすでに3年経ったと心で思えない間はその境地に到達できないだろう」と答えました。

生きたからだで、3年間、死んだように生きられるなら、欲望も怒りも失望も憎みもないことでしょう。存在するすべてのものの中で愛おしくないものはなく、愛するのに値しないものはないはずです。だれもが生きようとあがいている世で、砂漠の師父たちは死ねば生きると叫びます。その教えは、十字架の上で血を流されたイエス・キリストと、イエスの後を追った数多くの弟子たちが、身をもって示してくれたことです。

 

砂漠で道は霊性の泉

砂漠に入った人々は、騒がしい世から離れて神との出会いを慕い求めながら、深い霊性の世界に没入しました。砂漠には何もありませんが、神の臨在に満ちた場所でした。凄絶な孤独の修練場ですが、聖霊との一体感を味わうことができる至聖所でした。この砂漠で、バプテスマのヨハネは神に出会って霊性を養い、この荒野で、イエスは40日間断食し、神だけに拠り頼む生き方を学ばれました。砂漠は、すべてと断絶されていますが、天からはしごが下りてくる場所でした。

荒涼とした砂漠で長い間天と地に向き合った師父たちに比べ、今日の私たちには多くのものが与えられています。しかし、真の満足は満たされることから来るのではありません。神にある真の満足ではないなら、私たちは心の部屋を何かで満たそうとどこかに走っていくことでしょう。今日の視点で見ると、砂漠の師父たちは、極端な禁欲主義者だと言えるでしょう。しかし、世に何の希望も置かず、ただ神だけに目を向けて、世から離れて生きる彼らの姿から、まことの霊性のための生き方とは何かを考えさせられます。

トスカーナの修道院、その寂寞とした庭を歩きながら、世のすべての音が消える瞬間、天から鮮明に聞こえてくる声がありました。少しでも世を後にして神だけを見つめる目に、新しい姿で主が近づいて来られました。この主と一つになる深い霊性の泉の水を飲むために、私たちはもう一度荒野に出る必要があります。

 

砂漠は、何もないが神の臨在が満ちる場所、

孤独の修練場であるが聖霊と一体感を味わう至聖所だった。

 

 

『砂漠の師父の言葉』は神を追い求めて自分を徹底的に空にした師父たちの姿を示し、何が本当に人のたましいを豊かに満たしてくれるのかを考えさせてくれます。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2020年6月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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