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41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンである」と言われたので、イエスについてつぶやいた。
42 彼らは言った。「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た』と言うのか。」
43 イエスは彼らに答えて言われた。「互いにつぶやくのはやめなさい。
44 わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
45 預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。
46 だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」

 

 

今日のみことばの要約

ユダヤ人たちは、ヨセフの子が天から下って来たと言っていると、小声で文句を言います。イエスは、父が引き寄せてくださらなければ、ご自分のもとに来ることはできないと言われます。イスラエルの先祖たちは荒野でマナを食べても死にましたが、生けるパンであるイエスを食べる者は、永遠に生きます。

 

 

みことばから

小声で文句を言うユダヤ人たち (6:41〜46)
ユダヤ人たちは、イエスが受肉した神であるという事実を認めませんでした。イエスがナザレ人ヨセフの子だという事実と、天から下って来たというみことばが矛盾していると考えたのです。それで、彼らはイエスを見て、小声で文句を言います。彼らの祖先も荒野でマナを食べる前、モーセに小声で文句を言いました。文句は不信仰から出る典型的な態度です。このような態度に直面されたイエスは、「回復したイスラエルでは、人々はみな主によって教えられ、豊かな平安がある」(イザ 54:13)という預言を思い出させ、神から学んだ人はイエスのもとに来ると言われます。神と親密な関係がなければ、私たちもユダヤ人のようにイエスを受け入れず、疑い、文句を言うようになります。


 - ユダヤ人たちがイエスに対して小声で文句を言った理由は何ですか。不信仰を振り払い、神との親密な関係を回復するには、どうするべきですか。


いのちのパン (6:47〜51)
イエスがいのちのパンだということばの中には、永遠のいのちの奥義が込められています。イエスは、荒野でイスラエルを生かしたマナと似ています。しかし、マナは肉のいのちを維持するためのものにすぎず、永遠のいのちを与えることはできません。一方、いのちのパンであるイエスを食べる者は、現在だけでなく永遠にそのいのちを保つことができます。十字架にかかられたイエスの肉は、世のいのちを生かす救いを与えます。私たちは、いのちのパンであるイエスによらずして霊的ないのちに生まれ変わることはできません。私たちがイエスの十字架の死による贖いを受け入れるとき、イエスが私たちのうちで、いのちとして働き始めるのです。


 - いのちの観点から見るとき、荒野のマナとイエスはどう違いますか。いのちのパンであるイエスを食べる生活とは、具体的にどんなものですか。

 

 

きょうの祈り

ご自身の肉を裂き、十字架の死によって世を救ってくださったことに感謝します。理性が先立ってイエス様を全く信じることができず、批判的なことを言っていた私の不信仰を悔い改めます。日々主の教えを聞き、生きたパンである主とともに歩むことができますように。

 

 

* リビングライフの文章のコンテンツ著作権は、ツラノ書院にあります。

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