使命によって飛び跳ねさせてくださる主 | |||||
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使命によって飛び跳ねさせてくださる主
コ・ジョンウク 作家、文学博士
「なんでぼくだけ歩けないの? ほかの子はみんなあんなに走っているのに」 私が5、6歳の頃に母に言った言葉です。母はしばらくの間、黙り込み、涙を呑みながら、つらそうに話してくれました。
「あなたが赤ちゃんのとき、小児マヒにかかったからよ」 それは、私が望んでいる答えではありませんでした。重い病気にかかって障がいが残ったことは、すでに知っていました。戦争で手足を切断した軍人をたくさん見てきたため、時には運命が残酷であることも感じていました。しかし、本当に知りたかったことは別にありました。
歩けなくされた理由
「どうしてぼくだけ歩けないの? だれがぼくをこんなふうにしたの!」 息子が1歳頃に小児マヒにかかり、生涯障がい者として生きなければならない理由を、母も答えられなかったはずです。会話はそれ以上続きませんでした。「だれのせいでもないなら、なぜ子どものぼくが障がい者にならなきゃいけないんだよ」 考えれば考えるほど悔しくてたまりませんでした。ある日、教会に行く途中だった近所の人が、私を見て家まで追いかけてきて言いました。「神様を信じれば治るよ。歩けるよ」 私はその言葉を信じて教会に通いました。教会で祈る内容はたった一つ、奇跡を起こして歩けるようにしてほしいということでした。しかし、いくら祈っても答えられず、歩けるようにはなりませんでした。
歩けない私を母が背負って登下校させてくれたおかげで、私は勉強することができました。体育を除く全科目で全校1位になった私は医師になりたかったのですが、障がいを理由に医大の願書は受けつけてもらえませんでした。担任の先生の勧めで文系に変更し、国文学科に進学しましたが、博士号を取っても教授には採用されませんでした。障がい者が黒板に字を書けるのかと、あちこちの大学から拒否されました。文芸コンクールに10年近く応募した末、デビューに成功しました。しかし、小説家として活動しながらも生計は厳しく、心の中には悔しさが残っていました。「なぜ私だけが、不利な条件で苦しみながら生活の心配をしなければならないのだろうか。ほかの人はもっと豊かに生活しているのに」
ところがある時、障がいのある子どもを素材に童話を一編書くことになりました。たった数時間で書き下ろした本が、とても大きな反応を呼び起こしました。学校と図書館、企業などから「作家との出会い」のサイン会と講演依頼が殺到しました。
郊外のある学校に招かれたときのことです。車椅子に乗って現れた私に向かって、生徒たちが熱狂し、私の一言一言に熱い反応を見せました。講演を終えて胸いっぱいに報いを感じながら家に帰るとき、聖書のある箇所が脳裏を横切りました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか」(マタ 6:26)。私は車をわきに止めて、泣き出しました。これまでずっと心の中に抱いていた悔しさは、間違ったものでした。神は私を大切にし、いつも顧みてこられました。私の障がいは聖なる使命であり、神は私の努力とは比べものにならないほど尊い賜物を与えてくださっていたのです。
栄光の十字架があるため
私の十字架は、ゴルゴダの丘に上られたイエスの十字架とは比較にならないものでした。それでも愚かな私は、自分の十字架は重過ぎると文句を言い続けました。そんな私に神は、その苦難の十字架は輝かしい栄光の十字架だと示してくださいました。
私の使命は障がいの苦しみを持つ人の痛みを人々に知らせ、彼らに対する主のみこころを示すことです。この30年間、作家として活動しながら、『かばんを持ってくれる子ども』『とても特別な兄』『介助犬タンシル』など、294冊の本を書きました。昨年1年間だけでも350回講演をし、10冊の本を出しました。私がしたことではなく、すべて私に使命をあたえてくださった主のみわざです。
人間はだれでも使命を持ってこの世に生まれてきます。人生の羅針盤であるその使命を早く見つけましょう。私は使命を見つけるのが遅かったのですが、それ以来、日々使命の道を歩んでいます。「そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(イザ 35:6)というみことばのように、いつの間にか鹿のように飛び跳ねている自分自身を見出しました。歩けない私を飛び跳ねさせてくださる主がおられるので、使命の十字架は決して重くありません。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年6月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。