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福音、全世界に広がる
by.CGNTV
hit 822 recomend 147 2020-07-12 22:52:31

福音、全世界に広がる

 

 

 

ド・ユッカン Duranno 海外宣教会(TIM)理事

 

 

日本だけでなく、世界が新型コロナウィルスによって混乱と困難を経験しています。世界的な伝染病の拡散により、多くの人々が愛する人を失い、経済や医療システムが崩壊するという、大きな危機を迎えています。残念なことに、日本でも多くの感染者が発生し、東京オリンピックの延期という事態まで起こっています。このように、確かに新型コロナによって世界の未来は不確かなものとなり、大きな不安の中にありますが、それでも私たちは、歴史を統べ治めておられる方は主なる神であることを信じています。使徒パウロも「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです」(ロマ 11:36)と宣言しています。創造、救い、さばきに要約されるキリスト教的な世界観から見れば、これもまた神のみわざの一部分であり、神はこのようなすべての状況を通してでも、みこころを成し遂げていかれることでしょう。信じる者たちをきよめ、教会を新しくし、人類が高く築き上げたバベルの塔の限界を知らせることでしょう。

宣教の働きを振り返ってみれば、この事実がどれほど真実であるか、確認することができます。世界を創造し、保ち、今もすべての国と民族を導いておられる方は、生きておられる主だけです。歴史の中で強大国が滅亡を繰り返し、世の歴史を主導していくように見えますが、その背後で働かれる神が歴史をみこころのままに導いておられるのです。

フラー神学大学院の教授を歴任したラルフ・ウィンター博士は、神の国が広がるとき、一定の4つのパターンを持っているということを示しました。神は、ご自分の民の「自発的な従順」を通して、みこころを成就していかれますが、時には福音が必要な所に「非自発的な手段」をとってでも、みこころを成し遂げていかれることもあります。神の民が出て行って行う宣教があり、異邦人たちが自発的に神の民のもとにやって来る宣教もあります。また、願ってもいないのに実現していく宣教もあります。これを図にまとめると、〈表1〉のようになります。神は、ご自分の民を用いて、みこころを成し遂げていかれますが、時には民の従順の有無に制限されず、非自発的な形ででも、みこころを成し遂げげいかれます。そのような例は、聖書にも、以後の宣教の歴史の中にも見出すことができます。

ラルフ・ウォーター博士は、「神の国が反撃する」という小論文の中で、アブラハムから今日に至るまでの4千年の救いの歴史を4百年単位に分け、10の時代に分類しました。〈表2〉は、使徒の時代から今日まで成し遂げられた2千年の宣教の歴史を、5つの時代に整理したものです。もちろん、4百年という特別な期間に意味を置く必要はありません。例えば、過去の宣教の歴史を振り返ると、一定の4つのパターンの中で宣教が成し遂げられ、それが4百年間の主要な変化を示す5つの時代に整理することができるという意味です。

今回は、この5つの時代のうち、初代教会から十字軍戦争以前の時代まで、3つの時代に成し遂げられた宣教をまとめてみようと思います。宣教の歴史に対してよく誤解されるのが、キリスト教の宣教活動は、使徒時代以後、中断し、宗教改革とともに再開したという考えです。しかし、神の宣教は、どの時代にも、どの国でも、止まったことはありません。また、神のみこころが人間の帝国や状況によって制限されたこともありません。人類が堕落した直後から今まで、神の救いのご計画は続いているのです。では、5つの時代を簡単に調べてみましょう。

 

第1期:ローマ帝国の宣教時代

私たちは、これまで使徒の働きと預言書などを通して、どのように福音が世界の心臓部であるローマにまで伝わったのかについて見てきました。その後、200年経って、どのようにして属国の辺境の宗教がローマ帝国の国教になったのかは、神のみわざとしか説明のしようがありません。当時のローマ帝国は「皇帝崇拝思想」が帝国を支配していた時代だったので、皇帝だけを「主(キュリオス)」と呼ぶことができました。当然、イエスを主と告白するクリスチャンたちは、ローマの迫害の中心になりました。コンスタンティヌス帝によってキリスト教が公認されるまで(313年)、帝国全域でなされた大々的な迫害は11度あり、局地的な迫害は数えきれないほどでした。しかし、クリスチャンたちは、道徳的に堕落した文化とは腐敗の中でも、からだとたましいをきよく保ち、力強い主の証人としてローマを福音によって変えていきました。その過程で多くのクリスチャンがいのちを失い、安全が保障された生活を放棄した殉教者的な人生を生きなければなりませんでした。このような犠牲が種となり、異邦の世界に福音の花が咲きました。多くの学者が、ローマでは、3世紀が終わる前に、すでにクリスチャンが10%に達していたと唱えていますが、これは「自発的に出て行く宣教」の最善のモデルであると言えるでしょう。

しかし、歴史のアイロニーも見られます。375年、キリスト教がローマの国教になり、信仰の自由を得て帝国の支援と助けを受けられるようになりましたが、かえってキリスト教は徐々に制度化、貴族化していき、自然に迫害されていた頃の宣教の情熱が失われていきました。宣教の動力が消え去り、異邦民族に対する宣教をなおざりにする結果をもたらしたのです。教会が福音を伝える役割に忠実でなくなると、神は宣教のパターンを変えられました。野蛮な民族と呼ばれていたゲルマン民族がローマ帝国を侵略し、結局ゲルマン民族の傭兵隊長オドアケルによって、476年、西ローマ帝国は滅亡しました。ローマ帝国で勢いが盛んになったキリスト教が、「自発的に出て行く宣教」をおろそかにした結果、ゲルマン民族がヨーロッパの新しい主人となりました。そのような中でも、パトリキウスやウルフィラ(311~381)のような宣教師を通して、アイルランドやゴート族に福音を伝えることによって次世代を備えられる神の摂理は、驚くほどに精巧です。

 

第2期:ゲルマン民族の宣教時代

5世紀に入って、制度化された教会は力を失い始め、ゴート族、西ゴート族、ヴァンダル族、アングロ・サクソン族のようなゲルマン民族がローマ帝国に侵略し、帝国の衰退は加速していきました。ローマは帝国の大半を失いましたが、この過程でローマに侵略したゲルマン民族は、ローマの人々よりも徹底したキリスト教信仰を持つようになるという、歴史のアイロニーが起こりました。その中で、非公式的な宣教の結果として、キリスト教の信仰を表面的にでも受け入れたゴート族は、教会のいのちと財産を特に尊重したので、ローマ市民たちにとって大きな有益となりました。帝国の力を得て栄えたローマ教会がゲルマン民族の宣教にもっと力を注いでいたなら、西ローマ帝国の歴史も変わっていたかもしれないということを暗示しています。

この時期の最も大きな宣教の動力は、修道院を通して起こりました。修道院は、キリスト教の霊性と学問の殿堂であっただけでなく、ローマの様々な産業を保存し、発展させる重要な文明の架け橋の役割を担っていました。修道院は、祈り、敬虔な生活、学問、労働など、修道士たちの訓練センターの役割とともに、建築、農学、医学など、西欧文化の保存機能も果たしていました。修道士たちによって、多くの聖書の写本が書き写されたため、その写本が伝播され、ローマ帝国の多くの歴史も記録として残す役割を果たしました。何よりも、修道院運動は、教会を復興させ、中世の期間に宣教活動の源泉となりました。

修道院の発展に貢献した代表的な修道士のうち、特にパトリキウス(390~461)は、5世紀のアイルランドの最も偉大な宣教師であり、コルンバ(521~597)は、スコットランド宣教の父と言うことができます。ボニファス(680~754)は、イギリスの最も偉大な宣教師、ドイツの使徒と呼ばれています。

一方、ゲルマン民族の宣教時代を最も開花させた人は、カール大帝(742~814)だと言えます。彼は、西ヨーロッパ全域にキリスト教の福音を広める働きを積極的に支援し、自分の同族であるゲルマン民族の福音化に熱心であり、サクソン族の改宗のためには、武力まで行使する熱心がありました。聖書を尊び、社会、神学、政治分野など、あらゆる領域で研究を広げ、彼の統治の時期を「カロリング・ルネサンス」とも言います。しかし、北方のスカンジナビア人たちには、どんな宣教的な努力も支援も提供しなかったため、それが後に帝国没落の原因になりました。

 

第3期:バイキングの宣教時代

カール大帝の霊的指導力と影響力により、ヨーロッパ宣教は目覚ましい発展を遂げ、修道院はこのような霊的、文学的運動の中心の役割を担いました。しかし、北方のバイキング族が攻めて来て、ヨーロッパが焦土と化する過程で、文化の中心であった修道院が最も大きな被害を受けました。以前、ローマを侵略したゴート族やヴァンダル族などは、手荒いながらもキリスト教を少しでも知っていたのに比べ、キリスト教を全く知らず、文明的でもなかったバイキングたちは、学問とキリスト教の中心である修道院を無慈悲に略奪しました。彼らは、教会を火で燃やし、修道士や女や子どもを奴隷として売ることをためらいませんでした。先に真理を知り、祝福されていた神の民が果たすべき責任を、世界に対して果たさなかったために起こった悲劇でした。

しかし、このような過程でも、神の福音だけは征服されず、かえって征服者たちに打ち勝つ力を現しました。奴隷として売られていった修道士と、強制的に征服者たちの妻となった敬虔な女性たちが、バイキングたちを福音化させました。苦しめられているクリスチャンと教会を通して宣教を成し遂げていく「非自発的な宣教」の模範が示されました。

 

以上の3つの時代のクリスチャンと教会は、宣教に対して熱心ではありませんでした。それでも神は、ご自分を証しされ、神の国を広げていかれました。アブラハムに与えられた祝福のように、祝福されたすべての個人と民族は、その祝福にふさわしい責任も与えられています。祝福には、使命が伴います。その使命に従わなければ、神は非自発的な方法を通してでも、みこころを成し遂げていかれます。新型コロナは、明らかに社会と経済、信仰までも脅かす勢力のように見えますが、この苦しみが祝福にもなりうるのです。神がこのようなすべての状況を通して、教会を新しくし、私たちの使命を悟らせる力として現れることを願います。

 

 

〈表1〉

自発的に出て行く宣教

神の民が自発的に異邦人たちの中に入って行き、福音を伝えること

 

自発的に来る宣教

異邦人たちがやって来て、福音に触れる機会が与えられること

 

非自発的に出て行く宣教

やむを得ない事情により、信じる人々が散って行って福音を伝えること

 

非自発的に来る宣教

非自発的に入って来た異邦人たちが福音に触れる機会が与えられること

 

〈表2〉

0~400年   ローマ帝国の宣教時代

400~800年   ゲルマン民族の宣教時代

800~1200年   バイキングの宣教時代

1200~1600年   イスラムの宣教時代

1600~2000年   近・現代の宣教時代

 

 

ド・ユッカン

韓国 長老会神学大学院(神学修士号)。

米国 フラー神学大学院(宣教牧会学博士号)。

韓国 ヤンジ・オンヌリ教会 主任牧師。

Duranno 海外宣教会(TIM)理事。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2020年7月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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