ああ真実な主 | |||||
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ああ真実な主
チェ・ヨンドク 聖歌作詞・作曲家
未婚の母の子ども、貧しい家庭、勇気も覇気もない柔弱な性格。私はそんな生い立ちを、ただ嘆きながら生きていました。しかし「教会に行ったらきれいな女の子がたくさんいる」という友だちのことばにそそのかされて、高校時代に小さな教会に通い始め、2年生の時、何も知らないままバプテスマを受けました。しかし、そのために私の家は大騒ぎになりました。
災難のように見えても
私は私生児として生まれましたが、突然跡取りになりました。代々仏教と儒教を信奉している家で、跡取りがキリストを信じることは、決して許されないことでした。叔父たちは、教会に行くことを必死に止めましたが、私が言うことを聞かないので、結局家から追い出されました。それだけではありません。高校3年生の時、リウマチ性関節炎という大きな災難が私を覆いました。健康が次第に悪化し、2学期になると、学校に通うこともできなくなりました。だれが見ても完全に終わった人生でした。すでに両足で歩くこともできず、病状は次第にひどくなっていきました。絶望の中にいるとき、私よりも先に奇跡のような癒やしを体験した友人の勧めで、この問題を神様に委ねることにしました。祈祷院に行き、3日間断食しながら祈りました。本当に神様がおられるなら、私をこののろいから救ってくださいと、昼も夜も声がかれるまで叫びました。しかし、何の変化も起こらず、絶望しかありませんでした。しかし、3日目の夜、聖書を読んでいると、私のたましいが揺さぶられました。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ロマ 8:28)。このみことばが真実なら、神様に私の人生のすべてをかけてみようと決断した瞬間、われ知らずひざまずき、手を高く上げてこのように告白しました。
「神様、私を未婚の母の子どもとして生まれさせてくださり、感謝します。貧しい家に生まれさせてくださったことを感謝します。柔弱で勇気のない男子に生まれさせてくださったことも感謝します。このすべてを働かせて益としてくださることを信じます。私にリウマチ性関節炎を与えてくださったことも感謝します。病気を癒やしてくださることも感謝ですが、癒やしてくださらなくても感謝です。このすべてが必ず私に益となることを信じます」
その日、私は救い主イエスを受け入れ、足を癒やしてくださいと祈らなくなりました。6日間、救いの感激の中で聖書を読みふけりました。そして、奇跡が起こりました。両足が強くなり、しっかり立てるようになったのです。這うようにして祈祷院に来てから9日目に、私は山から駆け下りてきました。
すべてを働かせて益とされる神
この驚くべきみわざは、また別の益を生み出しました。このことが、私が家族からクリスチャンとして認められるきっかけとなったのです。その日以降も、多くの逆境と肉体的な苦難が私の人生に降りかかりましたが、私はローマ人への手紙8章28節の約束を握りしめ、信仰によって忍耐しました。私が信じた神は、約束のとおりにすべてのことを益としてくださいました。私は、与えられた才能を通して、聖歌の作詞・作曲家、CCMの楽譜集(「賛美イエス」シリーズ)の編集者、文書宣教の働き人、そして、地域の木曜賛美集会のリーダーとして用いられるようになりました。CCMの楽譜集『賛美イエス1000』と『賛美イエス1500』は、忙しく働いていた時に急に声を失い、すべての働きを休んでいた頃、深い山の中に2年間、こもっていた時に作ったものです。もし私が声を失わなかったら、この世に存在することのなかった賛美集なのです。
深い山の中に住んでいたその頃、「ああ真実な主」という歌ができ上がりました。「主は一度も私を失望させたことがなく / いつも公平と恵みで私を守られる / 過去のすべての月日を振り返っても / どれ一つ主の御手が及ばなかったものはない」という歌詞は、私の心からの証しです。私が出あった数多くの逆境は、私をイエス様に似た者となるよう整える道具でした。神様は、試練を通して頑なで強情だった私の自我を砕き、低くし、柔和な人に変えていってくださいました。私の出生背景や劣悪な家庭環境、欠点、難病患者として受けた経験など、すべては働き人として必要な賜物であり、最も驚くべき財産になりました。同じ立場、同じ痛みを持つ人々を慰め、励ますことのできる資格証明書が与えられたのです(Ⅱコリ 1:3~5)。これよりも大きな益がどこにあるでしょうか。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年8月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。