福音を聞かずに死んだらどうなりますか? | |||||
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福音を聞かずに死んだらどうなりますか?
イ・サンヒ ホサナ教会 主任牧師
ルネサンス時代のイタリアの画家であるコレッジョ(1489~1534)は、『授乳の聖母』(Nursing Madonna with an Angel)や『聖母と聖フランシス』(Madonna and Child with St Francis)をはじめ、様々な作品に「プット」(putto、複数形は「プッティ」putti)と呼ばれる子どもの天使を描きました。同時代のラファエロ・サンティ(1483~1520)も、『システィーナの聖母』(Sistine Madonna)の下の方に2人の子どもの天使を描き、そのうちの一つは、あるコーヒー専門店のロゴとして用いられ、有名になりました。彼らがプットを頻繁に描いた理由は何でしょうか。
オーストリアのウィーンにあるペスト記念柱の下には、ペストの魔女を殺す子どもの天使の彫像があります。このように伝染病を退ける子どもの天使が彫刻された塔は、ローマやミュンヘンをはじめ、ヨーロッパのあちこちに見られます。中世ヨーロッパの芸術家たちが子どもの天使を素材にしたのは、中世を襲ったペストと関連があるようです。
福音を聞かずに死んだ幼子は天国に行けるか
ラファエロの『システィーナの聖母』や、コレッジョの『聖母と聖フランシス』『聖母子と天使』の背景に、子どもたちの顔がうっすらと描かれています。プッティを描いたのかもしれませんが、煙のように消えていく小さな顔が幼子イエスとマリアを見つめているのを見ると、イエス様が生まれた当時、ヘロデの命令によって虐殺された幼子たちが思い起こされます。『システィーナの聖母』の下の方で、好奇心いっぱいの表情で天を見上げているプッティは、「福音を聞かずに死んだ幼子も天国に行けるの?」と神様に尋ねているようにも見えます。
中世ヨーロッパの芸術にプッティが頻繁に描かれているのは、ペストによって子どもを失った人々の心にあった幼子の救いに関する問いと関連があります。カルヴァンは、このように言っています。「神は幼子が生まれる前に彼らをご自分の民に選ばれたと語られる。神が私たちの神になり、私たちの子孫の神になると約束された(創 17:7)とは、そういう意味である。子どもの救いは、このみことばに含まれている」(『キリスト教綱要』4巻 15:20)。また、このようにも言っています。「幼子がバプテスマを受ける前にこの世を去ったからといって、天国に入れないという意味ではない……神の契約は、バプテスマやほかの添加物によって効力を発揮するわけではないからである」(『キリスト教綱要』4巻15:22)。改革神学の花とも言える『ドルト信仰基準』も、選択と遺棄に関する教理17章で、こう言っています。「信じる者の子どもは、その本性によってではなく、恵み深い契約によって、その親の信仰にしたがって聖であるため、敬虔な両親は……子どもが選ばれて救われていることを疑ってはならない」(創 17:7、使 2:39、Ⅰコリ 7:14)。
福音に応えるべき理由と伝えるべき理由
幼子のバプテスマと救いに関する問いの答えは、難しく見えますが、上述のように断固としたものです。それは実は新しいものではなく、初代教会から受け継がれてきたものですが、それはあくまでも、「信じる者」の幼子が受ける救いに関するものです。私たちが福音に応え、「信じる親」にならなければならない理由が、ここにもあるのです。
信じる者の子どもとして死んだ幼子の問題は、このように別途に扱われますが、一般的に「福音を聞かずに死んだ人」はどうなるのでしょうか。「すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に」(ロマ 5:12)というみことばのように、人間はすべて、死に至る罪を犯し、死の奴隷となって生き、死ぬ運命にあります。この世で偉大に見える人も、例外ではありません。良いことを行ったとしても、死の奴隷として行ったことも多いため、神様のさばきを免れることができないのです。生前に福音を聞いて受け入れ、神のあわれみを受けるなら、永遠に感謝すべきことですが、福音を聞くことができなかったからといって、罪に対するさばきが不当だと主張することはできません。そのような人は、福音を聞く機会がなかったことを恨むでしょう。福音を伝えることは神様がすべてのクリスチャンに与えられた使命です。時が良くても悪くても、私たちがいつも福音を伝えなければならない理由は(Ⅱテモ 4:2)、すべての人に福音を聞く機会を与えるためです。
『システィーナの聖母』(1513~1514)、ラファエロ
本文は、『リビングライフ STORY 2020年8月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。