幸せな働き人 | |||||
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幸せな働き人
イ・ビョンウク テアム医院院長
私が医学部1年生だった頃、良い医者にならせてくださいと神に祈りました。祈るたびに、神は「なぜあなたは医者になりたいのか」という質問を私の心に投げかけられました。父の事業が失敗し、家の経済状況が苦しくなったため、私はお金が切実に必要でした。「主よ、お金をたくさん稼ぎ、有名な医師になって幸せに暮らしたいです」と祈ると、神は「ビョンウク、幸せとはそんなものではないのだよ」と答えられました。
医療宣教によって人生を学ぶ
神が語られる幸せとは何でしょうか。聖書を黙想していたとき、神は「けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使 20:24)というみことばを示されました。まことの幸せは所有することにあるのではなく、使命を果たすことにあります。使徒パウロはたましいを生かすことが本当の幸せであると悟りました。韓国にもパウロのような人生を生きた人がいます。チャン・ギリョ博士です。私も、生涯を清貧に生き、貧しい人々のために無料で診療したチャン・ギリョ博士のように生きたいと思うようになりました。そんな夢とビジョンを抱くようになり、通っていた医大をやめて、高神大学医学部に再入学しました。当時は医療宣教という概念がほとんどありませんでしたが、医大卒業後、1989年に初めてフィリピンに医療宣教に行きました。そこで出会った現地の人々の姿を見て、私は涙が流れました。儀礼的にミサをささげてはいますが、土俗信仰を信じてイエスに生涯出会えない彼らが哀れでした。劣悪な医療の現実のため、簡単な治療で治る病気を放置したまま苦しむ彼らの姿を見て、胸が痛みました。医療宣教の働きを終えてフィリピンから帰国する2日前、早朝に祈っていると、「この人たちのために何をしてあげられるだろうか」という主のことばが心に迫ってきました。主は、それまで私に与えてくださった恵みを思い起こさせ、新しいビジョンを与えてくださいました。私は、10年間、短期医療宣教に献身することを決意しました。
それから31年間、私は毎年必ず短期医療宣教に行っています。その過程で苦労や困難もたくさんありましたが、その一方で比べ物にならないほどの神の大きな愛と感動がありました。その旅の中で発見した霊的原理があります。それが、私たちの人生が3K(きつい・汚い・危険)であっても、神がともにおられるなら、3D(ドリーミー・ダイナミック・ドラマチック)の人生になるということです。現実がいくらつらくて苦しくても、逆境に負けず、すべてにまさって大いなる神を見つめる礼拝者の生き方が求められています。私は、日常の中で患者を診療するときも、この真理を必ず伝えるように努めました。それが究極的に患者を生かす道だという確かな信仰があったからです。そのため、現場伝道の7つの心得(無条件、無差別、随時、無数に、膝で、何よりも、恥をかいても)を作って守るようにしました。一人のたましいの救いのためにもっと多く聞き、もっと手を握り、もっと笑い、微笑むように心がけました。このようにたましいの救いに対する切実さがあったため、さらに祈りが深くなりました。また、福音を伝えるだけでも忙しかったため、自然と人生のごみも捨てることができました。お金や名誉、世で認められることなどが、ごみのように思えたのです。その空いたところを主の心で満たし、主のみことばでいっぱいにしました。まことの幸せとは、神をまず第一に考えて従う生き方、いつも神の前で生きる生き方にあります。
主の前に立つ人の幸せ
主に会える日のことを想像してみましょう。主は「あなたは大きな家に住んでいたのか」「どれだけ多くの献金をしたのか」とは尋ねられないでしょう。どれほど神を愛したのか、どれだけ神に似たのかと尋ねられるはずです。主が十字架でいのちをささげて救われたたましいを、どれほど愛したのかと尋ねられるはずです。主はそのような人を捜しておられます。70、80パーセント献身する人ではなく、100パーセント献身して主に従い、世に仕える人を捜しておられます。そんな働き人として認められたいと願います。主の御前に立つ日を待ち望みながら、働き人として生きることが、私にとって最も大きな幸せであり、喜びです。偽りの幸せを追い求めて地獄に落ちそうになっていた私を、神の国の働き人として召してくださった神の恵みは、私にとって限りない感謝です。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年9月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。