世界宣教の中の日本 | |||||
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世界宣教の中の日本
髙橋めぐみ 関西聖書学院 学院長
「なぜクリスチャン人口が1%に満たない日本を置いて、インドネシアに行かなければならないのか?」 これは20年前に私がインドネシアに宣教師として行こうとする時に訊かれた質問でした。インドネシアはイスラム教徒が大多数の国ですが、キリスト教徒も約10%いるのです。それに対して私は、「なぜだかわからないけれど、神様が召してくださったから」としか答えられませんでした。
しかし今は、はっきりと答えがわかります。それは、宣教は日本かインドネシアかと分けるものではないからです。日本宣教と海外宣教は別のものではなく、世界宣教の中に日本とインドネシアがあるのです。違いはありますが、同じゴールを目指す、世界の一部なのです。
世界が造られた時から神様には一つの大きなビジョンがありました。いや、そのビジョンのために世界は造られ、人間が造られました。それは、地上のあらゆる部族、民族、言語の人々が神の家族として一つとされる。そして神の栄光が天と地に、すべての被造物の調和の内に完全に輝くというものです(エペ 1:10)。
私がインドネシアに行って教えられたことの一つは「欠けがあることは悪いことではない」ということでした。足りない時、できない時に私たちは他者に助けを求め、できる人が助けてくれます。足りない故に他者との繋がりが生まれ、組み合わさっていけます。神様はお互いの欠けたところを補いあってキリストの体として組み合わされるように私たちを造られたのだと思います(Ⅰコリ12章、ロマ 12:4, 5)。私はインドネシアで、日本人だからこそできることがありましたが、逆に日本人だからできないこともありました。できないことはお互いに助け合って働きを進めることができました。
「地上のあらゆる部族、民族、国語の人々が神の家族として一つとされる」という神様のビジョンは、ある日突然成就するのではありません。そこに向かっていくプロセスがあり、今がそのプロセスなのです。ですから宣教は、部族、民族、国を越えてチームとなって組み合わさって、前進させていくものであると考えます。時代は今、益々それを可能にしています。
私がインドネシアで出会った若者たちは、年月と共にどんどん大人になっていきました。まだ幼いと思っていたのに、いつの間にか尊敬すべき働き人になっていきました。その一人、J兄は、笑顔の可愛い男子学生でしたが、神学校で訓練を受け、その後神学校教師として同労者となり、その中で某未伝部族伝道への召命を受けて出て行きました。今は家族と共にこの部族への伝道に命をかけています。長い間福音が語られなかったこの部族への働きに、私もスタートから関わってきましたが、ゼロからスタートして今日の形になるまで、必要なのは「祈り」でした。まさに「積む」という言葉がぴったりで、私はJ兄から「祈りを積む」ということを教えてもらいました。出て行く前にまず祈りを積む。時には繰り返しのようにも思えましたが、そうして出て行った時に道は開かれ、不思議な導きで人々に出会いました。使徒の働きの世界のようでした。
このインドネシアでの経験を、私は今、日本の神学校で伝え、実践しています。今年6月末には「宣教ウィーク」というプログラムがありました。学生たちが実際に宣教に出て行くのです。しかし、今年はコロナ禍で、「出て行けるのか」「行っていいのか」「どうやったらいいのか」と戸惑い、学生たちと大いに悩みました。そして、とにかく祈りを積みました。先の見えない状況でしたが、神様の導きと知恵により、出て行くことになりました。そして実際行ってみると、私たちの予想を越えて3日間に約80名もの心の開かれた人たちと出会い、福音の種を蒔くことができたのです。その中にはすぐにイエス・キリストを信じる人もいました。ちょうどコロナ感染拡大が収まっていた時期と重なり、神様が扉を開いておられました。天候も奇跡的に守られました。学生たちは喜び、さあ次へ!と励まされています。インドネシアで受けた祝福が日本でも流れました。インドネシアでもこの為に祈られていました。
「神様はご自身の計画を必ず成就される」というのは私たちの確信です。しかし、それと共に、そのために「人」を用いられる、というのも私たちの確信です。イエス・キリストが何千年もの歴史を経て「人」としてこの地上に遣わされたことの背後にある、主の熱心、忍耐、愛に深く感動します。
この地で「人」となられて宣教を始められたキリスト(マタ 4:17)は、今日も天の右の座で継続して働いておられます。ペンテコステの日以来、豊かに聖霊が内住している私たちを通して、です。聖霊によって一つとされて、今日もゴールに向かってキリストの業をなしていきたいと願わされます。
髙橋めぐみ
大阪女学院短期大学、関西聖書学院卒業。共立基督教研究所修了。2000年から17年間、アンテオケ宣教会よりインドネシア・カリマンタン島に遣わされ、ATI神学校教師、プニティ教会協力、奥地中高生寮伝道の働きをする。現在、関西聖書学院 学院長。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年10月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。