主の真実を信じるため | |||||
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主の真実を信じるため
イ・ヨンフン ヨイド純福音教会 主任牧師
私の人生において最大の奇跡と恵みは、イエスの十字架によって救われて神の子となったことです。そして、神の子となってからの最大の奇跡と恵みは、聖霊の満たしをいただいて主のしもべとして用いられるようになったことです。主のしもべとして生きる私の人生の杖として、険しい牧会の道で倒れそうになるたびに私を支えてくれたみことばがあります。神様を愛する人にはすべてのことがともに働いて益となるというローマ人への手紙8章28節の約束です。
主の働きの訓練
このみことばが完全に私の信仰生活に定着する前、私はよく胸やけを起こしました。神経が敏感で、些細なことに気を使うとすぐに胃が痛みました。そのせいか、身長の割に、からだはいつも痩せていました。過去に私がどんなときに胃が痛くなったかを今振り返ってみると、なんでもないようなことがほとんどでした。その時の私は、昼間だれかから少しでも傷つけられるようなことを言われると、夜遅くまでそれにとらわれて心を痛めていました。
私は長老派の家の4代目として生まれ、徹底した長老派の信仰教育を受けて育ちました。私たちの家族を純福音教会に導いた祖父に導かれ、火のような聖霊体験をした後、主のしもべとして召されましたが、私の弱い性格はすぐには変わりませんでした。アメリカで神学の学びと牧会を並行していた30代の頃、情熱に燃えて睡眠時間を3、4時間に削りながらみことばを読み、祈り、信徒たちを一生懸命牧会しながら教会に仕えていましたが、困難もたくさんありました。
教会の建物を建築するとき、工事費を数ヶ月間払えないことがありました。建設業者と現場の所長から、突然「告訴するぞ」と言われたこともありました。何よりも、海外での大変な移民生活の中で、全く整えられていない性質のまま、過去の世俗的な姿のまま信仰生活をする人がいました。このような信徒たちの否定的な言葉や態度によって、若い牧会者が傷つくこともたくさんありました。自分の思うように教会が動かないときは、自分に反対する教会員のことが頭から離れず、眠れない日もありました。ある日、とてもつらくて「主よ、この人を別のところに送ってくださいませんか。とてもつらいです」と祈りました。
しかし、主はそんな私の祈りに答えてくださいませんでした。ただ主は私の心が傷つき苦しむたびに、ローマ人への手紙8章28節を黙想させてくださいました。主は良いことの中でのみ働かれるのではなく、悪いことも含めて「すべてのこと」の中で働かれるということ、すべてを働かせて益としてくださる主がおられるため、どんな状況でも絶対的な肯定の信仰を持つことができるということを深く黙想させてくださいました。
このみことばが少しずつ私の心を変えていきました。すると、傷つけるような言葉を発し、ほかの信徒たちに徳とならないことをする人たちをあわれむ心が芽生えました。そのような信徒たちを心から祝福して祈るようになりました。みことばによって新しくされ、ほかの人を赦し、理解できるようになると、まず私の心に癒やしが起こりました。牧会上のすべての問題が解決し、牧会の働きに臨むたびに勇気があふれるのを経験しました。アメリカで牧会する間、悲しいことをたくさん経験しつつ、その中で強い「霊的体質」が養われたのです。今では大抵のことではたじろがないようになりました。
絶対的な肯定の信仰
もちろん、後に韓国に戻って牧会をしていた時も、アメリカと日本に宣教師として派遣されていた時も、ヨイド純福音教会の主任牧師になってから今日に至るまで、牧会をする中で大変だったことは、話し始めたらきりがありません。しかし、心にしこりや寂しさは全くありません。イエス様だけに視線を集中し、信仰によって前進できるようになったからです。
私たちは一度きりの短い人生を生きます。人の評価や非難、様々な試みに心を奪われ、時間を浪費してはいけません。愛と赦しの心を持ち、約束のことばを握って祈り、しっかりと大胆に正しく生きましょう。そして、すべてを働かせて益としてくださる主の真実を信じる絶対的な肯定の信仰によって、今日も進んでいきましょう。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年11月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。