どちらの側につくのか | |||||
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どちらの側につくのか
チェ・ジュフン 中央ルター教会 主任牧師
欲望と罪のるつぼ
あり得ないような展開のテレビドラマに、どうして多くの人が夢中になるのでしょうか。内容が刺激的だからと言うだけでは説明がつかず、何かほかの理由があるのではないかと考えていました。そんな時、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み、そこからヒントを得ました。この本は、実父の殺害、不倫、遺産争い、逆転裁判など、あり得ない展開の詰め合わせのようなストーリーです。
登場人物は、善と悪、貪欲と清貧、憎悪と高潔が入り混じった、ふつうの人間像ではありません。現実の人間というよりは、思想と信念のかたまりです。しかし、逆説的に言えば、彼らが生み出す奇怪な気質と事件は、すべて私たちのうちにある心理と欲望、私たちの社会と教会が隠している醜い面と重なります。そして、自分の話、今の世の話、自分の教会の話だと文句を言いながら夢中になり、驚きつつも自分を振り返るのです。
高利貸しによって富を築いたフョードル・カラマーゾフは、実に貪欲で破廉恥な人物です。彼の2人の妻は物欲と情欲に染まった夫に虐待され、みじめに死んでしまいます。彼女たちから生まれた3人の息子たちは、不幸な幼年時代を経て、それぞれ異なる運命を辿ります。長男ドミートリイは軍人、次男イヴァンは冷徹な無神論者の知識人、三男のアリョーシャは信仰心の深い修道士になります。
父親と3人の兄弟が初めて会う場面が印象的です。場所は修道院、相続問題というぎこちない状況、父親と長男は遺産争いによって雰囲気が険悪で、三男は尊敬されているゾシマ長老を陪席させて家族の問題を解決しようとします。しかし、集まりは父と息子の暴力事件に発展します。最も聖なる修道院で、最も尊敬される聖職者の前で、愛と信頼が最も固くあるべき家族間でそんなことが起こります。これは私たちの世を掘り起こす逆説として読むことができます。それだけではありません。1人の女性のために父と子が争い、家の中で使用人扱いされていたフョードルの私生児が父を殺害し、その罪は長男がかぶります。暗く重いストーリーは、私たちの想像をはるかに超越しています。作家が解き明かす世界は、貪欲、憎悪、暴力、放縦が君臨する混沌です。漂流していた人間の欲望が次第に破局に向かって走り出します。この破局を防ぐ解決策は小説のどこに隠れているのでしょうか。
小説が未完のため、作家の本心は正確には分かりませんが、家族が初めて会う場所が修道院である点が一つのヒントを示してくれます。作者が人間の内面の問題を宗教の枠の中に引き込んでいることは注目に値します。
『大審問官』
小説の最も秀でた箇所は、この小説の中の『大審問官』に現れています。冷徹な無神論者である次男が聞かせてくれるこの話は、私たちが生きる世界と私たちの信仰について問いかけてきます。
15世紀のスペイン・セヴィリヤのある広場。異端者数百人が大審問官の命令によって処刑された翌日、キリストがごく当たり前のように現れます。人々は彼がキリストであることを一目で見抜き、彼の行く所々で奇跡が起こります。この光景を見た大審問官は、キリストをすぐに逮捕して監獄に入れます。蒸し暑くて暗い夜、年老いた大審問官が獄に入って来てキリストと対面します。
「おまえがその者か。答えるな。静かにしていろ。おまえはおまえが昔すでに語ったことばに何も付け加える権利がない。一体なぜ私たちを妨害しに来たのか。おまえはすべてを教皇に渡し、すべては今教皇の手の中にある。だから、おまえは今来てはならず、少なくとも時が来るまで邪魔するな」
作家が大審問官の話を挿入した理由は何でしょうか。ただ、おもしろいから、あるいはイエスの精神を忘れた教会と時代を告発するためだけではないようです。叙事詩の中で沈黙するイエス像が、この世を救う鍵だと示したのではないでしょうか。作者が描き出したキリストは、少数だけが理解し、得られる方ではありません。地位や権力に関係なく、広場でだれでも出会える方です。そして主は、自由を奪われたとしても、決して奪われることのない愛の自由を示しています。
この小説は、実父の殺害に代表される世の暗転を反転させる鍵があることを暗示しています。本を閉じてみると、作家が私の前に大審問官とイエス様を立たせて尋ねているようです。「あなたはこれまでどちらの側についてきたのか。これからはどちらの側につくのか」 その太くて厳かな声が、我を失った精神を目覚めさせます。
世界は、貪欲、憎悪、暴力、放縦が神のように君臨しています。
この破局を防ぐ解決策は、どこに隠れているのでしょうか。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を通して、読者は人間の欲望がもたらす底のない混沌を目撃し、救いを求める人間の密かな叫びを聞きます。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年11月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。