偽りのない信仰により | |||||
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偽りのない信仰により
チョン・ジョンホ 金井平安教会 長老、釜山地方裁判所 部長判事
私は、釜山にある「カササギ峠」と呼ばれる村で、7人兄弟の4番目に長男として生まれました。そこは、朝鮮戦争の時に避難してきた人々が中心になってできた貧民村です。本当に貧しい家庭で育った私は、いつも空腹に苦しめられていました。しかし、プライドのためか、イースターエッグやクリスマスのお菓子をもらいに教会に行ったことは、一度もありませんでした。
妻の祈りによって出会った神のみことば
小学5年生のある日曜日、いつも一緒に遊んでいた友だちが見当たりませんでした。実はみんな、近くの教会に行っていたということを後になって知りました。友だちについて都市である江南に行きたいがために、私は仕方なく教会にも一緒に行き始めました。それ以来、今まで一度も教会から離れたことはありません。しかし、家族の中で唯一信仰生活をしていましたが、何か特別な熱い体験をしたことがないだけでなく、そのような体験を期待したこともありませんでした。日曜礼拝を守ることは神様の命令だと考えていたため、日曜日には教会で礼拝をささげましたが、平日には世俗的な原理から離れられない生活をしていました。中高生時代を振り返ると、一生懸命勉強する姿が思い浮かびます。旅費がなくて行けなかった修学旅行や、教科書を買えない恥ずかしさから、頭を動かさずに黒板を凝視するしかなかった授業時間の思い出は、かすかな痛みとしてよみがえってきます。高校を卒業し、法学部に進学しました。法曹人という幼い頃の夢をあきらめることができず、家の事情を考えて、教育大学か国立師範大学に行くようにという周囲の勧めを振り払いました。私が入った大学は、当時、司法試験合格者が年に4、5人しかいませんでした。それほど難しい試験に、貧しくて知的に秀でているわけでもない私が、どうやって合格することができるのかと心配する人も多かったのですが、それでもあきらめず、法学部に進学しました。神様の恵みにより、多少遅くはありましたが、29歳で司法試験に合格し、あれほど望んでいた判事になることができました。
1997年2月、釜山地方裁判所の判事として赴任してから、私の信仰はどん底状態になり、数年間、実に恥ずかしい生活をしていました。そんな私を見かねた妻が、ある時から毎日教会に行って祈り始めました。2004年頃、あることをきっかけに、私も妻と一緒にその教会に行くようになりました。そこが、私が今通っている教会です。当時、教会では毎年1度、特別集会を開いていました。ゲストで来られた牧師先生のメッセージが罪の悔い改めを強く迫るものであったため、完全にきよめられていなかった私の心はそのみことばを100%受け入れることができませんでした。ところが、その牧師先生に頼まれて説教集を校正していたある日、ある箇所から何とも言えない戦慄を感じました。高い絶壁に立たされているかのように、心臓が締めつけられ、その箇所だけをじっと見つめていました。1行にも満たないみことばによって、私のすべての思考と肉体の活動が固まってしまったのです。みことばを読みながら恐れを感じたことは、後にも先にもありませんでした。それは、「偽りのない信仰」(Ⅰテモ 1:5)ということばです。急に偽りだらけの私の人生が聖霊の目を通して見え始め、私の人生に大きなターニングポイントが訪れました。
教訓の目的を悟った人生
神様のことばは、たった1句でも「生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることが」できます(ヘブ 4:12)。モアブ王バラクの招きによって、罪の道を歩いていたバラムの道に、剣を手に持って立ちはだかった主の使いのように(民 22:21~33)、鋭くて力のあるみことばが私の人生の道に立ちはだかり、方向を変えてくれました。もし、そのみことばに出会っていなければ、現在取り組んでいる青少年の働きをすることはできなかったでしょう。また、青少年の実情を知らせ、処遇を改善しようとする私の活動は、偽りと偽善になったかもしれません。一方では、神様がそれを委ねようとして、道を変更されたのかもしれないとも思います。実に驚くべき理解しがたい神様の摂理に、ただ感謝するばかりです。このように足りない私を用いてくださることに、ただただ感謝しています。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年3月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。