一度受けた救いは永遠ですか | |||||
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一度受けた救いは永遠ですか
ベク・チュンヒョン 長老会神学大学 組織神学 教授
「一度受けた救いは永遠ですか」と聞かれることがよくあります。真面目な質問ではありますが、よく考えると、イエスと答えてもノーと答えても問題があります。一度受けた救いが永遠だと言えば、気が緩んで放蕩な生活になりかねません。永遠ではないと言えば、救いに対する確信を持てず、不安になります。そのため、質問にはっきりとした結論を出す前に、この質問の前提である救済論についてまず検討する必要があります。この質問の背景には、死後の最終的な結果にばかり集中する態度があります。しかし、聖書で「救い」ということばが使われた文脈を見ると、死後の結果だけを指すのではなく、「現在の人生」と関連して使われています。
エジプトの宰相になったヨセフは、食糧を得るために来た兄弟たちに「神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました」(創 45:5)と言いました。暴風で死の危機に瀕した弟子たちは、眠っていたイエス様を起こして「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」(マタ 8:25)と助けを求めました。このように、救いは、死後の最終的な結果だけでなく、現在の人生にも密接に結びついています。救いを来世的な次元だけに限定してしまうと、救いの豊かな意味を制限し、救いの核心を見逃してしまいます。
救いの核心、神との関係の回復
では、救いの核心は何でしょうか。救いの核心を理解するためには、まず神様が私たちを創造された目的を知る必要があります。神様は人間を「神のかたち」(imago Dei)に創造されました(創 1:26)。神様は、御父、御子、聖霊に区分されますが、それは、愛の関係に満ちた共同体としての三位一体(the Trinity)です。このような神のかたちに創造された私たちは、神様と人間、自然世界との関係の中で美しく生きていくように造られた存在です。しかし、罪によってこのような創造目的は壊れ、そこから派生した様々な悪が現実に現れるようになりました。それでも、神様はこの世を愛し、ひとり子イエス・キリストを遣わし、この方を信じる者が永遠のいのちを受けるようにされました(ヨハ 3:16)。すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられるのです(Ⅰテモ 2:4)。ここで、イエス様が語られた「永遠のいのち」は、救いの未来的な次元だけでなく、現在的な次元も含まれた概念です。このことは、「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています」(ヨハ 5:24)というイエス様のことばを通して確証されています。このような「救い」の現在と未来における概念は、「神の民」という関係性を表すことばによく現れています。神様は、エジプトの奴隷であったイスラエルをファラオの圧政から救い出すだけでなく、「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる」(出 6:7)と言われました。また「あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民」である(Ⅰペテ 2:10)とも言われました。つまり、私たちが神の民となり、神様が私たちの神となる「関係の回復」こそが、救いの核心なのです。
救いの内容、神の民としての人生
次に、私たちが救いについて考えるとき、神の民として生きることにもっと関心を持つ必要があります。神様との関係が回復されるなら、人間同士、また自然界との関係も回復されます。もちろん死後の復活に対する望みも重要です。なぜなら、復活に対する望みが、現在の人生において神の民として生きる原動力になるからです。
神様がこの世を愛し、この世に遣わされたひとり子イエスは、「ご自分の民をその罪からお救いになる」(マタ 1:21)方です。そのため、私たちはイエス様を信じて永遠のいのちを味わいながら、神の民として生きることができます。私たちは「御子のかたち」(ロマ 8:29)にならい、神様のかたちを回復しながら生きなければなりません(Ⅱコリ 4:4、コロ 1:15)。そのような意味で、聖書は私たちに「それによって成長し、救いを得るためです」(Ⅰペテ 2:2)と言い、また「恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい」(ピリ 2:12)と勧めています。そのため、「堕落してしまうなら、そういう人たちをもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません」(ヘブ 6:6)という箇所や、「世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります」(Ⅱペテ 2:20)というような箇所は、救いの不確実性について語っているのではなく、むしろ逆説的に、救われた私たちが神の民らしく生きていかなければならないことを強調していると理解するべきなのです。
救いは死後の最終的な結果を意味するだけでなく、
現在の人生と未来の次元の両方にまたがっています。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年4月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。