次世代と共に生きる | |||||
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次世代と共に生きる
国分寺バプテスト教会 牧師 米内宏明
次世代伝道に対する戦略は、すでに多方面でよいモデルが紹介されていますので、本稿は伝道プログラムとしてではなく、次世代伝道の必然性とは、そもそも何だろうかということを考えてみます。この問いは、教会が自らの性質を捉え直すことも意味します。教会がセルフイメージ(自己像)を知ることで、次世代への伝道のビジョンも見えてくるからです。
教会の性質としての次世代伝道
ここでは「次世代」を青少年世代とします。青少年の特徴を挙げるなら(自分の経験からも)、まず「食べる」。次に「しゃべる」、現代であればSNSの活用ともいえるでしょうか。そして「遊ぶ」。
「食べる」ことは初代の教会においても大きなテーマでした。「教会」は、「エクレシア」(ギリシャ語)の訳語として説明されることがありますが、もう一つは「キュリアコス」です。これは「チャーチ(英語)、キルヘ(ドイツ語)」という語に近く、その意味は「主のもの」です。用例は「主の晩餐」(Ⅰコリ 11:20)、「主の日」(黙 1:10)などです。
初代教会では、この主の食卓をどう囲むかが大きなテーマでした。言い換えれば、主の食卓における「ともにパンを裂く」ことの意味と実践が教会の性質を決めた、と言ってもいいでしょう。使徒の働き6章では、「しゃべる」という言葉の壁で、やもめが食卓にあずかれなかった様子が記されています(6:1)。そこで、パンの分配が公平になるように、教会が体制を整えようとした様子がうかがえます。
同15章では、食事のために会議が開かれたとあります。この会議で、ユダヤ人以外の異邦人にも食卓が開かれるという方針が決まりました。パウロがコリント人の教会へ宛てた手紙には食事のことが扱われています(8, 10, 11章)。イエスご自身も、罪人と呼ばれる人たちと進んで食事を共にされました。
このように、「食べる」「しゃべる」は、教会が、自分は何者で、主のご性質をどう反映しているのかを問う試金石となりました。さらに主の食卓は、民族の違い、男女の違い、貧富の差を超えて共に食事をすることで、教会が社会の階級制度を打ち破るきっかけにもなりました。教会は自らの体制を変えて、世界を変えていったとも言えましょう。
宣教は、自分と違う他者と「一緒に食事をする」「共に生きる」ことから始まるのではないでしょうか。だとすれば、次世代伝道の必然性も、あくまでも次世代の尊厳と価値を認めることから始まり、彼らと「一緒に……」という姿勢を教会はもてるのかにかかってきます。
次世代伝道の覚悟
では、「一緒に……」とは、どういうことなのかを身近なところで考えてみます。
青少年が教会へ来るとどんなことが起こるでしょうか。私自身が青少年であった頃の、また青少年を迎える現在の私の経験からお分かちします。まず、(教会の)モノが壊れます。そしてカーペットが汚れます。ゴミが落ちます。壁に(なぜか)靴跡が残ります。うるさいです。食費もかかります。彼らにかける費用と時間、労力の割合が増えます。当面の費用に対し効果はよくありません。そして、残念ながら、これらはたいてい事実です。
このように書くと、あまりよいことがないように思えます。はい、青少年伝道は夢物語ではないようです。でも、何のための次世代伝道かを問うてみる必要があります。目的・理由・動機と言ってもいいかもしれません。例えば、自分たちの教会の将来を担ってほしいから? 若い人がいると助かるから? これらはみな自分たちの視点で見ています。当然ですが、次世代はそのために教会へは来ません。ボランティア精神があれば別ですが……。おとなにとって役に立つ青少年という位置ではなく、おとなが彼ら自身の存在を尊ぶ(大事にする、喜べる)者であるべきです。青少年は、決しておとなの未完成版ではないのです。
彼ら自身が神の夢であり、希望であり、神の愛が注がれる一人ひとりです。私たちが覚悟をもって彼らと共に生きていこうとしなければ、何も始まりません。
小さなきっかけから
最後に、青少年伝道は小さなきっかけから始まります。有名講師を招いた大きな伝道集会からではありません。一緒に食べる、一緒におしゃべりをする、一緒に遊ぶ、そんなことから始まります。ご一緒に次世代伝道へ進んで参りましょう。
米内宏明
大学卒業後に銀行勤務を経て、東京基督神学校卒業。牧師休業中に、米国にて青少年のための Youth Camp Ministry、留学生のための地域教会でLocal Community Ministry に従事。帰国後は、国分寺バプテスト教会牧師になり、現在に至る。その間、AF(主にタイ北部の児童支援と地域教会支援)へ宣教師を派遣し、またJCFN(北米での邦人宣教と帰国者支援)の責任者でもある。日本バプテスト教会連合理事長。
本文は、『リビングライフ STORY 2017年5月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。