合理的な考え方は信仰の妨げになりますか | |||||
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合理的な考え方は信仰の妨げになりますか
ベク・チュンヒョン 長老会神学大学 組織神学 教授
合理的な考え方が信仰の妨げになると信じている人がたくさんいます。そのような人は、哲学や科学は信仰と「反対」のもの、信仰を妨げるものだと考えているのです。果たして、本当にそうでしょうか。この問いに答えるためには、まず「合理的」という言葉の意味について検討してみる必要があります。
論証的理性と信仰的直感
合理的という単語は、「理性」に「合致」する考えや行動を意味します。では、理性とは何でしょうか。理性を、狭い意味と広い意味に分けて考えてみましょう。まず狭い意味での理性は、論理的な考え方による計算や推論に基づいた考え方、つまり論証を意味します。これを論証的、または推論的理性と呼びます。論証的理性は、論理的に証明されるなら合理的だと考え、論理的に説明できないなら非合理的もしくは反合理的だと考えます。
しかし、この世には論証的理性だけでは説明できないものがたくさんあります。人間はすべての事実を観察することができず、科学の法則にも例外が存在するからです。論証的理性を補完するのが、人間の直感や想像を含む広い意味での理性です。論争的理性によると「神は存在する」というのは、非合理的な命題にすぎません。しかし、直感や想像を含む広い意味での理性は、この命題をいくらでも合理的な命題、思想的な命題としてアプローチすることができます。そのため、広い意味での理性の立場からすると、合理的な考え方は私たちの「信仰」といくらでも結びつけることができるのです。
聖書が語る信仰は、やみくもに信じる信仰ではありません。アブラハムは神様からの召命を受けたとき、行くべき所を知りませんでしたが、神様が計画して建てられた都を待ち望んで「信仰」をもって出て行きました(ヘブ 11:8~10)。ギリシア語の「信仰」(ピスティス)は、「信頼」を表す語から派生しました。神様を信じるということは、どのような状況でも神様に信頼し、私たちの人生をすべて委ねることを意味します。この過程には、当然私たちの論証的理性だけでなく、信仰的な直感や信仰的な想像力も含まれます。
理性と信仰
理性と信仰に関する問題は、教会史の中でも常に論議されてきました。初代教会の教父テルトゥリアヌスは、「アテネとエルサレムに何の関係があるのか。アカデミー(プラトンが建てた学校)と教会に何の関係があるのか」と問いました。アテネとアカデミーはギリシア哲学の理性を教え、エルサレムと教会はクリスチャンの信仰を教えていました。これに対して、テルトゥリアヌス自身は「私は不合理だから信じる」(credo quia absurdum)と答えました。彼は、理性や哲学が信仰とは反対のものと考えたのです。一方、別の教父であるアウグスティヌスは「理解を求める信仰」(fides quaerens intellectum)を主張し、中世教会の神学者であるアンセルムスは「理解を探究する信仰」(fides quaerens intellectum)を主張しました。
神様と神様が創造された世界についてさらに深い理解を追求する信仰は、理性と対立しません。そのため、「信仰の章」と呼ばれるヘブル人への手紙11章は、信仰の先輩たちを紹介する前に次のように語っています。「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります」(ヘブ 11:1~3)。
私たちは「真の理性」が「イエス・キリスト」を指していることに注目する必要があります。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハ 1:1)。ここでの「ことば」は、ギリシア語で「ロゴス」(logos)です。ロゴスはおもにイエス・キリストを表すのに使われる単語で、理性、道理、考え、思考などの意味もあります。
そのため、私たちは、イエス・キリストを中心にする合理的な考え方を訓練しなければなりません。そうすれば、論証的な理性に閉じ込められた人よりも、はるかに豊かな考えを信仰の中で持つことができます。ですから、合理的な考え方を信仰を妨げるものと考えるべきではありません。また、信仰を守るために合理的な考え方に対して拒否反応を示したり、理性を重視するからという理由で哲学や科学を遠ざける必要もありません。合理的な考え方と信仰は、反対の概念ではなく、むしろ信仰は理解を追求するので、私たちの合理的な考え方を広げることで、信仰を深めることができるのです。
真の理性はキリストを指しているため、
合理的な考え方は信仰をさらに強くします。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年7月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。