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孤独さを埋めるための道具、中毒
by.CGNTV
hit 615 recomend 155 2021-08-17 10:00:13

孤独さを埋めるための道具、中毒

 

 

ユ・ウンジョン 精神健康医学科 専門医

 

 

診療室で「なぜこんなに孤独なのでしょうか」と聞かれることがよくあります。今日、身体と心の健康を脅かす原因の第1位は「孤独」であり、それとの戦いが熾烈です。イギリスでは、孤独を解決する「孤独担当大臣」(Minister for Loneliness)を任命するほど、孤独を社会的疾病と見なしています。以前は大家族が多かったため、家族内で寂しさを感じることはあまりありませんでしたが、最近は大勢の中にいても寂しさを覚える人がたくさんいます。家族よりもSNSで出会った人に親密感を覚える人もいます。

アメリカの株式投資にはまって寝られない人が来院しました。会社の仕事や家族関係に問題が起こっても、やめられませんでした。お金を稼いで生活の質を向上したいという欲望と内的な孤独が重なり、「株式中毒」になっていたのです。

「中毒」と言うと、たいていアルコール中毒や麻薬中毒を思い浮かべます。しかし、広い意味ではふつうの人の日常でもよく見られるものです。スマホ中毒、ドラマ中毒、砂糖中毒、ダイエット中毒、運動中毒、旅行中毒など、中毒の症状は数えきれないほどあります。そして、先に結論を言うと、良い中毒など存在しないということです。

 

自由意志と中毒

神様はアダムに、エデンの園のどの木の実を食べてもよいが、善悪を知る木の実は食べてはいけないと命じられました(創 2:16~17)。「その木さえなかったら堕落することもなかったのに、神様はなぜアダムを試されたのでしょうか」という質問に対し、私は次のような答えを得ました。「神様は私たちをロボットのように造られたのではない。食べることができても、自分の意志で神様のみこころに従うようにされたことに、神様の偉大な愛が隠れているのだ」 神様は私たちを愛しておられるので、最も良いものを与えてくださるはずだという信頼が、私たちを従順にさせます。神のみこころに逆らってほかの快楽を求めるなら、決して幸せにはなれません。

創世記3章4~6節で、サタンは誘惑して執着させます。「食べるのに良さそう」と感じる程度ではなく、しきりに思い出させて「欲深い執着」へと導きます。中毒も同じです。ドラマを一つ見ると、面白いのでずっと見ます。そのドラマの時間になると、テレビをつけます。からだが疲れていても徹夜して見るようになったなら、それは中毒です。好奇心が執着に変わったのです。このような誘惑に勝つのが難しいことを、私たちはよく知っています。

人間の欲求がすべて悪いわけではありませんが、過度な執着に陥らないように、神の律法(みことば)が必要です。私も神様が与えてくださった自由意志を好き勝手に使って生きていました。「私の目に良い」ことをしているだけだと正当化しながら、勉強と仕事に打ち込みました。ある日、十戒を深く黙想していると、戒めの一つ一つが、神様が私のために与えてくださったものであることに気づきました。安息日を厳守しないことは仕事中毒を意味し、ほかの人の物を欲し、ほかの人の妻を欲することは、物中毒や性中毒を意味します。十戒は、私たちの身体と精神を守るために与えられたものであり、神様が与えてくださった自由意志を好き勝手に使わないように制御するブレーキです。十戒をしっかり守るだけでも中毒を予防することができるのです。

 

一瞬の幸福を与えるだけのドーパミン

すべての中毒には、瞬間的な快感を支配する「ドーパミン」という大脳の神経伝達物質が関与しています。ネズミがレバーを押すと脳の特定部位を刺激し、ドーパミンの分泌を促進する実験をしました。快感を与える刺激を得るためにレバーを押し続けるネズミは、食べることも繁殖行為もしません。力尽きるまで快楽の車を回し続けるネズミは、決して幸せには見えません。ドーパミン分泌刺激は、ネズミも人間も満足させるのではなく、情熱的な何かをもっと欲するように駆り立て、結局は空しくします。それは、自己破壊的な行動と欲望に疲れてしまうまで続きます。

ドーパミンは、両親から愛情と関心をいっぱい受けた子どもに最適な状態で現れます。しかし、断絶状態を経験すると、ドーパミンが減少します。覚えておくべきことは、この時に快楽を求める行動が強まるということです。多くの人が中毒の沼でドーパミンを求めるようになりますが、それは一瞬の幸福にすぎません。お金であれ成功であれ、切実に望んでいるものを得ると、一時的には満足しますが、すぐにまた別のものを欲しがるようになるのです。ドーパミンを追い求める人生は、決して幸福には至れないのです。

 

中毒が与える快感は、一瞬の幸せを与えるだけで、

みことばに従って自由意志を制御するとき、真の幸せに至ります。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2021年8月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。

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