主との結びつき、その驚くべき賜物 | |||||
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主との結びつき、その驚くべき賜物
キム・チョルギ 宣教師
私は、波の音が聞こえる海辺の町で育ちました。小学生の頃、図書館で借りた童話の本を、ランプの灯りを頼りに夜通し読みました。童話の内容を想像しながら道を歩き、ご飯を食べ、夢を見ました。青少年の時も、図書館の詩集と文学全集をほとんど読みあさりました。そして、作品の主人公たちの理想が私を通して叶えられることを願ったりもしました。
主が導かれる場所で
私は文学が好きでしたが、家が経済的に苦しかったため工業高校に入りました。そこはミッション系の学校で、入学後、全校生が一定期間、寮生活をするのが規則でした。私は寮で過ごしながら40日の早天祈祷会に参加しました。校長先生がオルガンを演奏しながら導くその時間を通して、初めて福音を聞きました。人格的に主を受け入れると、人生をすべて献げたいという思いが心に迫ってきました。「……私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」(ガラ 2:19~20)。誘惑の多い高校生の時、このみことばを握りしめ、主のうちにとどまることを願いながら祈り、牧師になることを決意して、神学校に進みました。神様の導きによって自分のいのちよりも主を愛する女性に出会い、結婚しました。誠実な妻にとって、私が早天祈祷を誠実に行わないことが一番の不満でした。離婚を受け入れるか、祈りに誠実になるかのどちらかを選んでほしいという妻の言葉により、私は40日の断食祈祷を行いました。雪が覆う山の頂上で断食祈祷を終える頃、「失われた羊の群れを世話しなさい」という感動を主が与えてくださいました。断食祈祷後、私は牧会者のいない田舎の教会に行きました。私の母は、息子が40日の断食祈祷を終えて偉大な主のしもべになることを期待しましたが、貧しい農村の教会に行くのを見て悲しみました。主がそこで訓練された6年間、私たちは貧しい中で、貧しい人々のために多くのものを分かち合いました。
その後、総会世界宣教部で、アマゾン宣教師に行く人がだれもいないからそこに行くように言われました。難しい頼みごとは最も気の許せる友人にするという言葉のように、主が私を信じてくださっているようで感謝しました。しかし、アナコンダに食べられて死ぬか、インディオ部族の投げ槍で死ぬかもしれない危険な場所に行くように命じられたため、どこか寂しい気もしました。冷たい床にひれ伏して祈っていると、山の頂上で断食した時にささげた祈りを不意に思い出しました。
「主よ、私には献げられるものがありません。私のいのちを献げます」 いつかは死ぬのだからアマゾンでアナコンダの餌になろうが、槍で殺されようが、大した違いはないだろうと思えるようになり、アマゾン行きを決心しました。私たち夫婦はアマゾンに向かいながら、その地に葬られることは当たり前だと考えました。一つの願いは、アマゾンで自我が死に、ガラテヤ人への手紙2章19~20節のように主と完全に結びつくことでした。
最大の願い
私たちは、すべての宣教師が経験する一般的な言葉の壁、文化の壁、孤独、恐怖とともに、アマゾンの猛暑、毒虫、風土病も経験しました。私たちを追放しようとする者たちの迫害と陰謀、告訴や毒殺の試みも経験しました。主は私たちの咎と罪をすべて明らかにし、私たちに恥と侮辱を受けさせました。そして、プライドを捨てさせ、高慢、自己義、自己憐憫をすべて悔い改めさせました。その道で妻ホ・ウンソク宣教師が先に主のもとに帰りました。インディオ部族を最後まで愛した彼女は、自分をアマゾンに葬ってほしいと遺言を残しました。市議会は、教会の前の道を「ホ・ウンソク宣教師路」と命名しました。子どもたちも成長してこの地を離れ、1人残った私は、様々な成人病と緑内障、甲状腺がんを患い、新型コロナに2度もかかり、苦しい治療を受けました。しかし、主は何とも比べることのできない賜物を与えてくださいました。それは、主との結びつきです。ガラテヤ人への手紙2章19~20節のみことばを罪人のかしらである私の人生に成就された主に、すべての感謝と賛美をささげます。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年8月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。