神の前に聖い教会 | |||||
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神の前に聖い教会
大阪シオン教会 主任牧師 安達隆夫
神は、ご自分に従う者を祝福してくださいます。そこで大切なことは、「すべてに従う」ことです。自分に都合のいいみことばだけを選んで従うなら、主に従っているとは言えません。私たちには、主が語られた「すべて」のみことばに対して「アーメン」と応答する権利だけが与えられています。ゆえに、すべてに従う者だけが祝福されるのです。
それを悟らせてくれたのは、昨年11月に行われたラブ・ソナタ大阪でした。実行委員の一人として準備を進める中で、お隣の韓国で日々日本のリバイバルのために断食をし、涙しながら熱心に祈ってくださる兄姉のことを聞きました。また、大会当日は500名以上の聖徒の方々が来日され、期間中ずっと会場の外で黙々と奉仕を続け、一度も会場に入ることのない兄姉をたくさん見ました。これこそまさしくラブ・ソナタのテーマである「愛と犠牲」そのものでした。この「愛と犠牲」がどこから来たのかと考えたとき、主に従う信仰から来たのだと気づかされたのです。すべてに従う人たちでした。
ある時、イエス様のところに三人の弟子志願者がやって来ました。彼らはイエス様に自分の覚悟を語ります。最初の男は「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」(ルカ 9:57)と言いました。これは献身者ならだれもが思うことです。しかし、これに対してイエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(58節)と答えられます。これは「わたしに従うということは、枕するところもないような苦しみや孤独を味わうということだ。それでもわたしについて来るというのか」という覚悟の確認でした。
今度はイエス様のほうから、二番目の男に「わたしに従いなさい」と促されます。すると男は「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」(59節)と願います。これは「私はあなたに従いますが、その前に父の葬式に行かせてください」という意味です。普通に考えれば、至極当然の要求ですが、イエス様はこれに対し「葬儀はほかの人にやらせて、あなたは神の国を広めなさい」(60節参照)とおっしゃいました。
三番目の男は「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」(61節)と言いました。「あなたに従う前に、先に家族に挨拶に行かせてください。その後で従いますから」という意味です。
彼らは三人とも弟子志願者で、三人ともイエス様に従う気持ちはありました。しかし、「すべてに従う」覚悟は持ち合わせておらず、自己中心的で、自分の都合に合わせて従おうとする者たちだったのです。
ここで注目したいのは、60節です。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」。この個所から、イエス様が最も望んでおられることは、時が良くても悪くても福音を宣べ伝えることだということがわかります。私たちもこの真理を忘れると、自分本位の信仰に陥ります。イエス様がこの地に来られた理由は、「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ 19:10)とあるように、全世界の救いのためであって、私たちの願いをかなえることでも、快適な生活を与えることでもありません。
もし、あなたがイエス様の弟子となって、聖なる信仰者になりたいと願うならば、二つのことを守ってください。一つ目は、「第一のものを第一に」しなければなりません。彼らは「従いますが、その前に葬儀に……」「まずは、両親に挨拶してから……」と自分の都合ばかり述べました。彼らにとって神が第一ではなかったからです。あなたは言い訳ばかりの信仰生活をしてはいませんか。「わかってはいますが、忙しくてなかなか祈れません」「今は御心ではないと思うんです」「子どもにお金がかかるので、落ち着いたら献金します」などよく聞く話ですが、このような言い訳ばかりする人は、決して主の弟子になることはできません。なぜなら、言い訳する人は「愛と犠牲」を流し出さない人だからです。自分ではなく神を第一とするとき、主の祝福が与えられることを覚えましょう。
二つ目は、「私は」ではなく、「イエス様は」に変えて話すことです。いつも「私は、私は」と話す人の多くは自分のことで頭がいっぱいです。自分中心なので自分に都合のよい解釈しかできず、すべてに従えなくなるのです。「イエス様は」と言ってみてください。あなたの心の王座を主に明け渡し、主を畏れる生活を送りましょう。そうすれば、あなたはイエス様のように、愛と犠牲をもって、すべてに従うことができる人に変えられるでしょう。自分を捨てて、すべてにおいて主に従うこと、これが祝福のカギなのです。
* 聖句は新共同訳聖書からの引用です。
安達隆夫
1964年生まれ。立命館大学卒業後、出版社及び大学にて15年間勤務。35歳の時に受洗し、アンデレ宣教神学院を卒業し、現在は大阪シオン教会主任牧師。2013年より、バルナバプロジェクトの代表として資金調達のため福音落語を行い、全国各地の教会で活躍中。著書に『福音落語・五十の手習い』シリーズ1~3がある。
本文は、『リビングライフ STORY 2017年6月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。