成人した子どもとの上手な過ごし方 | |||||
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成人した子どもとの上手な過ごし方
ユ・ウンジョン 精神健康医学科 専門医
30代の女性が母親と一緒にカウンセリングに来て、泣きながらこのように言いました。「母という言葉を聞いたら、温かさが思い浮かぶべきなのに、私は母が本当に嫌いです。一緒にいると落ち着かず、いつも激しいケンカになります。母とは合わないので一緒に住めません。でも、家を出ようと思ってもお金がなく、両親も許してくれません」 泣きながら訴えるこの女性の母親も、娘にとって良い母親になろうと努力したはずです。平均寿命が延び、結婚が遅くなるにつれ、親と成人した子どもが一緒に生活する期間が長くなっています。お互いがうまく過ごすためには、どんな変化が必要でしょうか。
「成人と成人」の成熟した関係訓練
第一に、家族の中で最も楽な相手に自分の感情のゴミ箱の役割を期待していないか、振り返ってみましょう。感情のゴミ箱は、両親の場合も子どもの場合もあります。自分の産んだ子どもが、あるいは親が、自分の感情の重荷を減らしてくれると期待しているのです。しかし、使徒パウロは「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負う」(ガラ 6:5)と言っています。家族であっても指摘や忠告をするのではなく、それぞれが重荷を負うべきです。
第二に、社会だけでなく家庭の中でも、相手を怒らせることをしてはいけません。怒りは、それまでの肯定的感情を一瞬で吹き飛ばします。激しい怒りが込み上げてきたら、それが果たして相手の問題なのか、それとも自分の感情の問題なのかを見分ける必要があります。「成人と成人」という事実を心に留めましょう。または、感情のコントロールができずに相手を怒らせたなら、必ず言葉やメッセージで謝罪の意を伝えなければなりません。家族だからそれくらいは理解して受け入れてくれるだろうと考えたり、葛藤がさらに大きくなることを恐れて、問題に蓋をしたりしてはいけません。特にクリスチャン家庭は、争いがなくて仲が良くなければならないと考えて、心に葛藤があっても見て見ぬふりをしてしまいがちなので、注意が必要です。
第三に、適度な「距離を取る」ようにしましょう。異見や葛藤を、ありのまま受け入れましょう。家族内の葛藤を恥ずかしがる人がいますが、本来、すべての関係には葛藤があるのが正常です。パウロも、宣教旅行中に多くの葛藤があったため、「できる限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ロマ 12:18)と伝えています。ここで「できる限り」という表現から、ほかの人と平和に過ごすことがいかに難しいかが分かります。
第四に、「各自の役割」を果たしましょう。親の役割は、最後まで子どもの味方になってあげることです。最近の子どもたちは、これまで以上に社会的に孤立し、孤独になりやすい環境に置かれています。葛藤があっても「親はいつも私の味方だ」という信頼があるなら、親子関係はうまくいくことでしょう。
最後に、ジェスチャー、表情、声のトーンなどの非言語のコミュニケーションが、言語以上に重要であることを覚えましょう。語る内容も重要ですが、無意識の表情やジェスチャーによって相手が傷つくこともあります。近い間柄では、過去の経験に基づいて相手の言い分をすべて聞く前に判断してしまいがちです。そのような場合、非言語のコミュニケーションに特に注意する必要があります。
自己中心性から脱する
親子が与え合う傷は、ほかの人間関係の傷よりも大きく、自尊心に致命的な傷を残しやすくなります。箴言の著者は、舌をコントロールして真実を語り、悪口を避けて親切に語り、話す前にまず注意深く考えて理解しようとする態度が必要だと強調しています。良いコミュニケーションを妨害する根は「自己中心的」態度です。自己中心性の強い人は、自分の方法だけを好み、固定観念により個人の違いを受け入れられません。人から認められず、無視されていると感じるとき、脅威を感じたり回避しようとしたりします。
クリスチャンとして愛する決意をしたのなら条件をつけず、相手を支配しようとしたり、罪責感を利用したりしてはいけません。ありのままの自分を否定して、「こんな親になれば尊敬される」「こんな子になれば愛される」と理想像を追い求める不健全な心は、神の無条件の愛と受容を経験することで癒やされます。親あるいは子どもから受けた傷を受け継がないことを決断し、聖書に示されている神のご性質を心に留めましょう。そうすれば、互いに葛藤している状況は、条件のない愛を鍛え、クリスチャンとして成長させてくれる肯定的な道具になるでしょう。
傷を受け継がせないためには、葛藤している状況を、
クリスチャンとして成長する肯定的な機会にしましょう。
上記の内容の一部は『傷つかずに最後まで愛する』(キュジャン、2018)から引用したものであり、該当出版社の同意を得て掲載しています。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年11月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。