冬になる前に来てください | |||||
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冬になる前に来てください
タク・ジイル 釜山長神大学教授、月刊『現代宗教』理事
神学を学ぶためにアメリカに留学した翌年、異端に関する研究に生涯をささげた父が亡くなりました。父の死は、私にほかの選択の余地を与えず、私は異端研究の道に行くしかありませんでした。数年が過ぎた後、悩んだ末に、博士課程に進もうと決心しましたが、翌年、韓国で通貨危機が起こりました。私は無我夢中で仕事と勉強を並行するしかありませんでした。母は身動きがとれない祖父をずっと世話していたため、孫であり長男である私が早く帰国して助なければなりませんでした。当時の最大の願いは、勉強を早く終えて韓国に戻ることでした。
恵みによって背を押され
不確実で不安定な留学生活の中で、何を選択すべきか悩んだことが一度だけありました。私が博士課程を終える直前、アメリカのある神学校から、志願してほしいという連絡を受けたのです。任用が保証されていたわけではありませんでしたが、苦労する妻と3人の子どものことを考えると、拒むには惜しいチャンスでした。しかし、「主よ、私の心は揺るぎません」という賛美が私の口から離れませんでした。結局神様は、もう一度私を選択の余地がない道へと導かれました。博士課程の修了試験を終えるとすぐ、学位授与式にも出ずに、家族と一緒に帰国しました。小さなアパートで5人家族の最初の韓国生活が始まりました。帰国した年の秋に祖父が亡くなり、翌年神学大学で教える機会が与えられました。その時も、大学のある地方に引越しすること以外に、選択の余地はありませんでした。
教会史を専攻した私は、歴史の勉強を自動車のバックミラーにたとえることがよくあります。私たちが運転中にバックミラーを見る理由は、後退するためではなく、目的地に安全に着くためです。私の人生のバックミラーを通して過去を振り返ると、一方通行の道へと私の背を押された神様の姿が見えます。今になってようやく、選択の余地のない状態へと私の背を強く押された神様の力が、私に対する神の摂理であり、恵みであったことが分かります。選択の余地がなかった私の味気のない人生を、感謝して受け入れられるように助けてくれた、忘れられない信仰者がいます。それは、ディートリヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906~1945)です。1939年、第二次世界大戦の勃発とともに、ヒトラーとナチ政権の脅威のためにアメリカに逃げたボンヘッファーは、信仰の自由を味わいながら、知人の配慮によって安全に過ごしましたが、苦しんでいる祖国ドイツの信徒たちと一緒にいないことに対する罪責感に苛まれていました。そんなとき彼は、一節の聖書のみことばに出会います。「何とかして冬になる前に来てください」(Ⅱテモ 4:21)。信仰によって生んだ「愛する子」(Ⅱテモ 1:2)テモテに対するパウロの痛切な最後の願いでした。「あなたは、何とかして早く私のところに来てください」(Ⅱテモ 4:9)。このみことばを自分に与えられた神様のメッセージとして受け取ったボンヘッファーは、自分がいるべき場所は、平穏なアメリカではなく、激しい冬の暴風が吹き荒れる祖国であることを確信します。祖国の信徒たちと辛い冬を一緒に過ごさないなら、決して温かい春は迎えられないという結論に至ったのです。ドイツに戻った彼は、夢見て祈ってきた通りに愛する信徒たちとともに主に従い、不義に抵抗しましたが、1943年4月5日に逮捕され、戦争が終わる1ヶ月前の1945年4月9日に処刑されます。ボンヘッファーを選択の余地なく危機の祖国に向かわせた「冬になる前に来てください」というみことばは、時々私を緊張させます。甘い春、温かい夏、豊かな秋に酔って、直面するべき寒い冬を無視してはいないか、緊迫して呼ばれる主の御声を聞こえないふりをしてはいないかと、自分を点検するのです。
主が選ばれた道へと
選択の余地がない道であっても、神様と家族に恥ずかしくない道なら心配はいりません。選択の余地がない道を歩むことは、ほかの道に対する未練を持たずにすみます。選択の余地のない一本道に出くわすと、恐れもありますが、過去に対して後悔したり未来に対して心配したりすることなく、ただ前に一歩一歩進むことだけに集中することができるので、幸せです。「冬になる前に来てください」というみことばをボンヘッファーの心で黙想しながら、主が「選択の余地のない道」へと、もう一度私の背を押してくださることを祈りながら待ち望みます。
本文は、『リビングライフ STORY 2021年11月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。