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目を覚ましている忠実なしもべ
by.CGNTV
hit 319 recomend 36 2022-02-15 13:18:46

目を覚ましている忠実なしもべ

 

 

ハ・ヨンジョ オンヌリ教会 前主任牧師

 

 

[ マタイの福音書24章32~51節 ]

 

終わりの時に目を向けるべきこと

終わりの時の重要な主題は、主がいつ、どこに、どのように来られるかということではありません。第一に、聖霊に満たされることです。イエス様に従う者は、聖霊の力を受け、イエス・キリストの証人として生きなければなりません。

第二に、聖なる敬虔な生き方に関心を持つことです。ペテロは、世界の終わりがどうなるかに関して次のように説明しています。「しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう」(Ⅱペテ 3:10~11)。そして続けて「そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます」(Ⅱペテ 3:12)と言っています。終わりの時に本当に重要なことは、自分の生活の場で、職場や家庭で、日々、神の日が来ることを切に慕い求めて、敬虔な生き方をすることなのです。

終わりの時の重要な第三の主題は、「目を覚ましていること」です。

「ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから」(マタ 24:42)。

目を覚ましているとは、霊的に目覚めて、準備している人生を意味します。聖書は、私たちに、主が近くに来られるその時、聖霊に満たされて、キリストの力強い証人として敬虔に歩み、準備しながら生きることに集中しなければならないと教えているのです。

 

しるしが見えるとき、再臨に備えなさい

イエス様はこのことを詳しく教えるために、いちじくの木のたとえを話されました。

「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります」(マタ 24:32)。

人々は、いちじくの木の枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことに気づきます。同じように、イエス様が語られた終末のしるし(マタ 24:3~31)が見えるとき、主の再臨が近づいていることを知りなさいと言われたのです(マタ 24:33)。

今、イエス様はどこにおられるのでしょうか。さばきの戸の前におられます。まだイエス様を信じていない人々にもイエス様は訪ねて来られ、戸の前に立っておられます。ですから、戸を開けさえすればイエス様に会うことができます。

今日の世界はどうですか。主がここで語っておられる終末のしるしが見られますが、終わりの時が近づいているということを信じない人々がいます。イエス様の時代もそうでした。そのような人々のために、イエス様はさらに二つのことを語られます。まず、天地が消え去ったとしても、イエス様が語られたことは必ず起こるということです(マタ 24:34~35)。イエス様が語られたことを疑ってはならないというのです。聖書のことばは、すべて信じてください。信じた通りになります。信じる人は、神様の栄光を見るでしょう。環境や自分の理性、経験によって妥協せず、神様のみことばをそのまま信じてください。

そのように言われた後、イエス様は「時」に関して語られます。「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」(マタ 24:36)。

イエス様は、宇宙と歴史のさばき主としてこの地に再び来られますが、そのとき、様々なしるしが起こると言われました。ところが、イエス様ご自身がさばき主として来ると言いながら、「しかし、それがいつなのかは、分からない」と言っておられます。その「時」は、神様に属していることなのです。

問題は、イエス様が来られる時、私自身は準備ができているかということです。イエス様は、明日、来られるかもしれないし、10年後に来られるかもしれません。いずれにせよ、イエス様が来られる時、私が準備できていることが大切なのです。日々、聖霊に満たされ、キリストの証人として生きましょう。 日々、伝道し、説教者のためにとりなし、神様が必要とされれば宣教にも行きましょう。また、自分の職場や家庭をきよくし、日々目を覚まして祈りましょう。

 

神様の命令通りに行ったノア

二つ目に、イエス様は、終わりの時が近づいていることを疑う者たちに、旧約のノアの洪水の話をされました(マタ 24:37~39)。イエス様の再臨の出来事は、ノアの洪水の日のように実現するというのです。

「洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです」(マタ 24:38~39)。

ノアの出来事が重要な理由は、それが主が再び来られる時と似ているからです。ノアは神様の心にかなった人でした(創 6:8)。地上に人の悪が増大し、人が心に図ることがみな悪に傾いているような悪しき時代に、彼は正しく、全き人でした。その時代が実に悪いため、神様は人を造ったことを悔やみ、すべての人を地上から消し去ることを決められましたが、それでも神様は人を愛し、ノアを救われました。ノアを通して人類を救う計画を立てられたのです。それで神様はノアに「わたしは罪のために、この地に大水をもたらして滅ぼし去ろうとしている。あなたは箱舟を造りなさい」と言われました。

ノアの出来事において重要なことは、ノアが神様の命令通りに行ったことです。神様がノアに命じられたことは、実におかしなことでした。山の上で箱舟を造りなさいと言われ、しかも大きさはサッカー競技場よりも大きいものでした。それでもノアは、神様が命じられたので、それを造りました。これがノアの信仰です。

ノアにとってもう一つの難しい問題は、洪水がいつ起こるのかを神様が教えてくださらなかったことです。ただ、さばきがあると言われただけでした。それでもノアは、一生懸命箱舟を造りました。雨が降っても、気分がすぐれなくても造り続けました。私たちも、主が命じられたことは、自分の気分や体調に関わらず、忠実に行い続けなければなりません。それが信仰です。

ところで、創世記7章を見ると、箱舟が完成した後、ノアはさらに待ちました。そんなある日、「ノアよ、箱舟に入りなさい」という神様の御声が聞こえました。神様が箱舟を造るよう命じられ、ノアがそれを造りました。その箱舟のおかげでノアは生き残りました。これが救いです。

私たちは、目を覚まして準備しなければなりません。終わりの時、聖霊に満たされて、キリストの証人にならなければなりません。聖く敬虔に生きなければなりません。そうしていれば、いつか雨が降ることでしょう。

 

再び来られる主に認められるしもべ

では、目を覚まして準備しているクリスチャンとは、どのような人でしょうか。イエス様は「主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える」人のたとえを話されました(マタ 24:45)。聖書は、このような人を「忠実で賢いしもべ」と呼び、主人が帰って来た時、そのようにしているのを見てもらえるしもべは「幸いだ」と言っています(マタ 24:46)。

主人が帰って来た時とは、イエス様が再臨される時を表しています。私たちは、このように忠実で賢いしもべにならなければなりません。血まみれになるほど罪と世と自分自身と戦い、信仰を守るために努力しなければなりません。主が来られた時、そのような姿をご覧になり、私たちの汗を拭き取りながら「幸いだ。本当によくやった」と言ってくださるのを聞くことができますように願います。聖霊に満たされて伝道しましょう。世界宣教に携わりましょう。キリストの真の証人になりましょう。目を覚まして備えていましょう。

「まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります」(マタ 24:47)。

主の再臨に備えているクリスチャンに、神様は霊的にすべてのことを任せてくださいます。しかし、それとは反対の人々の姿が次のように語られています。

「しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです」(マタ 24:48~51)。

主人がいつ帰って来るのか気にかけない人、すぐに帰って来ないだろうとか、帰って来ないかもしれないと思っている人、そして仲間と争い、酒飲みたちと遊び暮らしている人は、愚かな人です。主人がいつ帰って来られるかは分かりませんが、すぐに来られると信じ、目を覚ましてみことばにとどまりましょう。それが、再び来られる主を待ち望むクリスチャンの態度なのです。

 

祈り

父なる神様! 主が来られる時が近づいていることを感じます。主がいつ来られても、私たちは聖霊に満たされてキリストの証人となることを願います。きよく敬虔に生きられますように。ノアのように、どんなにこの世が悪くても、神様の御前に正しい人として歩めるよう導いてください。主のみこころに忠実に歩み、再臨される主を待ち望むしもべとして生きることができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2022年2月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。

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