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ESSAY
神ご自身が人の城壁となってくださる
by.CGNTV
hit 17 recomend 2 2017-06-05 13:37:55

神ご自身が人の城壁となってくださる

 

 当時、イスラエルの民を恐れさせたことは、エルサレムには城壁もなく、無防備の状態で敵に露出されていることであった。後にネヘミヤ時代に至って再建される時まで、エルサレムは城壁もなく不安な状態で過ごさなければならなかった。神殿再建が中断されたままの状態で長い間放置された理由の一つも、エルサレムに城壁がないという点であった。神殿を再建してみたところで城壁もないのに、はたしてそれに意味があるのかと考えたのである。城壁のない神殿は、敵の攻撃を受けたら、たちまち崩れるからである。古代の町における城壁の重要性を考え合わせると、これよりも重要な理由はなかったであろう。

 神は、彼らの恐れを解消し、エルサレムを守ってくださるという約束を、第三の幻を通して語られた。神は第一の幻で、神がエルサレムに帰って、そこに神殿を建て、エルサレムを再び栄えさせると言われた。第三の幻は、第一の幻で与えてくださった約束を具体的に示している。ゼカリヤが目を上げて幻を見ると、測り綱を持っているひとりの人がいた。ゼカリヤが「あなたはどこに行かれるのですか」と尋ねると、その人は「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために」と言った。その時、もうひとりの御使いが、ゼカリヤに答えた御使いに会って、こう言った。

 

 ゼカリヤ2:4-5 そして彼に言った。「走って行って、あの若者にこう告げなさい。『エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。――主の御告げ。――わたしがその中の栄光となる。』

 

 御使いの答えは、当時の人々の固定観念を壊している。エルサレムが城壁の必要ない広い町となるというのである。当時の人々にとって「城壁のない町」など想像もできないことであった。戦争と略奪が頻繁に行われていた当時、城壁のない町は滅亡を意味すると考えられていたからである。

 ところが、御使いは、エルサレムに城壁が必要でなくなる二つの理由を提示している。一つは、エルサレムの中に人と家畜があまりにも多くなって、城壁を建てることすらできなくなるということである。御使いがエルサレムを測って幅と長さを調べようとするのは、現在のエルサレムを測量するためではない。御使いが測量しようとするのは、エルサレムが後にどこまで拡大されうるかを調べるためである。

 エルサレムに人々がどれだけ多くなり、栄え、城壁を建てることができないほど広くなるというのだろうか。当時、三度にわたる捕囚からの帰還者をすべて合わせても、このみことばのように城壁を築く必要がないほど多くの人々が集まってはいなかった。だとしたら、このみことばは間違ったものなのだろうか。そうではない。このみことばは預言なのである。

 この預言は、当時エルサレムに集まる人々だけを意味したものではない。「城壁のないエルサレム」となるというみことばが究極的に意味しているのは、ユダの民が再建するエルサレムではなく、“霊的エルサレムとしての教会”である。聖霊が臨まれることで、エルサレムの城壁を越えて全世界へと拡大された霊的エルサレムを意味しているのである。

 全世界の至る所に建てられた教会は、城壁のないエルサレムである。人々があまりにも多くなって城壁を建てることすらできないほど拡大されたエルサレムである。このみことばは、今日の教会を通して実現されている。

 神は、落胆して神殿再建を中断した民に、将来の望みを見せてくださった。その時代にすべての約束が成就されはしなくても、彼らが握って進んでいくべき未来のビジョンを示してくださったのである。神のビジョンはいつも遠い未来まで含んでいる。私たちの時代に私たちをとしてだけ実現されるのではない。そのビジョンが私の生きている間に実現されなくても、その視線がそのビジョンに向けられている人は決して倒れない人生を歩む。

 エルサレムに城壁が必要でないもう一つの理由は、神がエルサレムを取り巻く火の城壁となってくださるからである。

 

 ゼカリヤ2:5しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。――主の御告げ。――わたしがその中の栄光となる。」

 

 神がエルサレムの火の城壁となってくださるとは、どんなに恵み深く、驚くべきみことばであろう!イスラエルの民は、エルサレムは今、城壁のない不安な町なので、神殿再建も無意味なことだという固定観念にとらわれている。しかし、神はこのように言われる。

 「わたしがエルサレムを取り巻く火の城壁となる」

 「堅固な城壁のなる町が必ずしも安全な町であるとは言えない。以前エルサレムには城壁があったが、バビロンによって無残に崩れたではないか。城壁があなたがたの安全を守ってはくれない。あなたがたの安全はわたしにかかっている。わたしがあなたがたの保護者である」

 かつてバビロンを百年間守ってくれていた堅固な城壁も、結局は崩れた。ペルシヤ帝国の数多くの城壁も、今は遺跡にすぎない。当時の人々が自分たちを安全に守ってくれると信じて頼みにしていたすべての堅固な城壁は崩れてしまった。

 しかし、神が火の城壁となってくださるなら、だれがその城壁を崩すことができようか。火の城壁は、はしごをかけて超えることも、穴を開けることもできず、その下を掘って崩すこともできない。火の城壁は、近くに来るものは何であれ、焼き尽くす火である。神はご自分のことを焼き尽くす火と言われた。

 

 申命記4:24 あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたむ神だからである。

 

 荒野を通る民を火の柱で守られた神が、今、火の城壁となって守ると言われる。神に敵対する人々が近づくことのできない城壁である。神が火の城壁となってくださる人生が最も安全な人生である。

 人々は、自分の人生を守ってくれる城壁を築いて生きていく。古代の人々が、城壁がないと不安で恐れ、町が堅固だと安心して暮らしたように、現代人たちは自分の人生を守ってくれる自分なりの城壁を築いて生きている。その中で最も多く頼みにする城壁は、お金である。今日、多くの人々ができるだけ多く築こうとするお金の城壁が、はたして人生を安全に守ってくれるであろうか。子どもという城壁を築けば、はたしてその城壁が人生を安全に守ってくれるであろうか。社会的地位という城壁、ひいては健康という城壁など、どんな城壁が人生を安全に守ってくれるであろうか。自分が築いた城壁の中に自分自信を閉じ込めて生きているにすぎない。

 神の国の民である聖徒は、このような城壁で自分を取り囲む必要がない。神ご自身が火の城壁となってくださるからである。神が聖霊の火で城壁となってくださるので、たとえ自分が築いた城壁が崩れたとしても、決して崩れない。神は、私たちが努力して築いた城壁を過度に頼みにするなら、その城壁を壊されることがある。神に拠り頼ませるためである。あなたがたが拠り頼んでいた城壁が崩れているなら、火の城壁となってくださる神に祈ろう。

 「神さま!私の人生をあなたの火の城壁で守ってください!」

 「神さま!私たちの家庭と子どもたちを神の火の城壁で守ってください!」

 「神さま!この国と民族を神の火の城壁で守ってください!」

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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