主に望みを置く人 | |||||
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主に望みを置く人
ク・ギョンソン イラスト作家
2歳の時、熱病を患った後に聴覚障害者になった私に、視力には問題はないのに視野がだんだん狭くなる「網膜色素変性症」という症状が現れました。聴力喪失と網膜色素変性という二つの症状が重なって生じる「アッシャー症候群」という難病でした。最初は視野が狭くなり少し不便な程度でしたが、時間が経つにつれて視野はさらに狭くなり、失明することもあると言われました。しかし、私は不安ではありませんでした。不自由な生活には慣れていたからです。
主を蔑ろにしませんように
視野が狭くて少し見えにくい状態でしたが、私は8cmという他の人よりも狭い視野を比較的よく維持していました。童話のイラスト作家として活動し、今の夫と出会って結婚し、愛する息子を出産しました。ある日、病院から検診を受けに来るようにという連絡がありました。毎年受ける定期健診でした。「もう1年経ったのか。本当に時間が経つのは早いな」と軽く考えながらも、実は心に引っかかることがありました。時々夫が心配しながら「前よりも視野が狭くなったみたいだね」と言っていたからです。そんなとき、私は、コンディションが悪いときだってあるし、大したことはないよと、笑いながら答えました。ところが、検査の前に、すでに目の前にいる夫を探し回るほど、目の状態は悪くなっていました。
少し心配しつつ、病院に行って検査を受けました。診察の結果、視野が前よりも少し狭くなっていると言われました。それは、自分でも感じていたのですが、実際に話を聞くと落ち込みました。まず最初に頭に浮かんだことは、「息子が成長する姿を見届けたい」ということでした。落胆と切実な思いが複雑に絡み合い始めました。家に帰る途中、一番の親友に連絡しました。その友人は、驚きながら自分のことのように悲しんでくれました。そして、数時間後、友人が「昨日、読んだみことばよ。あなたの状況にぴったりのようだから」と言ってメールでみことばを送ってくれました。「ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります」(ヤコ 5:16)。「互いに罪を言い表し……」 私の罪は何だろうと思い返してみました。学校で友人と上手くつきあえなかったため、辛くて欠席し、さまよっていたとき、絵が描けるように道を開いてくださった神様。イラスト作家になってから様々な理由で仕事が苦しかったときも私を導いてくださった神様。友人が送ってくれたみことばを通して、その神様にもう一度出会うことができました。結婚してからは幸せなあまり、神様を蔑ろにしていました。しかし、私を変わることなく顧みてくださった神の恵みによって妊娠すると、今度は体が辛いと言い訳しながら気を緩め、信仰生活が疎かになっていました。出産してからも同じでした。子どもの世話が忙しいと言い訳しながら、神様との関係が疎かになっていました。悔い改めなければと思いました。祈ってから眠ると、翌日親しい牧師先生が、黙想したみことばをメールで送ってくださいました。「幸いなことよ / ヤコブの神を助けとし / その神 / 主に望みを置く人」(詩 146:5)。それを通して、神様が私の悔い改めるべきことを教えてくださいました。神様に望みを置く人は幸いだと語られましたが、私は自分自身に望みを置いていたのです。
「神様、ただ単純に信じたいです。心配せず、絶望もせず、この世的に考えず、神様に委ねます。私を造られた神様ですから、私の目と耳についても神様のみこころがあると信じます。仕事もなく、何もなかった私をここまで導いてくださった神様、すばらしい夫とかわいい息子を与えてくだった神様、いつくしみ深い神様を信じます。私の人生に働かれたみわざをすべて覚え、神様だけに拠り頼み、私の人生を委ねます」
神様が私のビジョンです
使命やビジョンがあるかと尋ねられても、思い浮かぶ計画は特にありません。しかし、神様の御前で悔い改めた日から、尊い一日一日を神様の娘として最善を尽くして生きるという夢ができました。夫と息子をさらに愛したいと思います。作家としては、昔から温めてきた話を完成させたいです。そのように神様だけに望みを置き、日々、神様が示してくださる道を歩んでいきたいです。
本文は、『リビングライフ STORY 2022年4月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。