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労働
by.CGNTV
hit 528 recomend 244 2017-07-25 16:37:36

労働        

 

パク・ジョンギル  ソウル・オンヌリ教会 ソビンゴ担当牧師

 

労働は祝福です。働くことができるというのは、恵みです。職を失った親戚の人が、朝、目が覚めるのが恐いと言っているのを聞いたことがあります。働くことのできる職場、健康、時間、機会があることが祝福であるとわかるのは、それを失ったときかもしれません。ふつう聖徒は、教会は聖なる場所で、職場は世俗的なところだと考えがちです。しかし、職場も神様が与えてくださった働きの場所です。私たちの人生は、職場と労働を通して完成していくのです。怠惰な人は成功できず、働かなくては食べることができません。労働の場所は召命を完成させる所であり、祝福が与えられる場所です。労働は、私たちが生きているということを意味し、人生を完成させる道具なのです。

 

人生の宝探しの7つ目は、「労働」です。労働は、神聖で幸いなものです。神様は、人間を創造された後、万物を治める権限を人間に与えられました。しかし、罪を犯した後、労働は、人にとって祝福ではなく、苦痛なものとなりました。しかしイエス様は、労働は苦痛なものではないということを見せてくださいました。イエス様は、3年の公生涯を送られる前、家業を助けて大工として過ごし、ご自身が労働をされました。また、タラントやミナのたとえを通して、忠実なしもべの模範となる姿を教えると同時に、神様が怠惰なしもべを喜ばれないということも教えてくださいました。ソロモンも、「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には、仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」(コヘ 9:10、新共同訳)と言っています。

 

労働について、3つの教訓があります。まず、労働は神様の栄光のための行いです。聖書は、労働自体に目的があるとは言っていませんが、労働は、単に金もうけのための行いではなく、神様の栄光のための行いです。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリ 10:31)というみことばは、労働が単なる金儲けのためのものではないことを教えています。イエス様のたとえの中に、ぶどう園の労務者のたとえ(マタ 20:1~16)があります。朝9時に来て働いた人も午後5時に雇われた人も、一日分の賃金としてみな同じ1デナリをもらったという話です。これは、天の御国は、労働の質を時間で判断しないということを教えてくれます。だれも働く場所を与えてくれず、あきらめてしまいそうなとき、私たちを見捨てず働く機会を与えてくださる神様の姿も垣間見ることができます。私たちは、働くことができるとき、感謝して最善を尽くさなければなりません。労働は、神様の栄光のための行いにならなければなりません。

 

二つ目に、労働は神様による祝福です。私たちは、労働を通して人生の意味を見いだし、神様に栄光をおささげすることができます。労働は、私たちに必要なお金をもたらしてくれます。働くことなく何かを得ようとするのは、欲です。罪は私たちを甘く誘惑します。もちろん、「盗め、人をだませ、宝くじを買って一攫千金をねらえ」などの言葉で私たちを誘惑するのではなく、汗水流すことなく、少しでも楽にお金が手に入る方法などによって、誘惑するのです。韓国の親はよく、自分の子どもに勉強しなさいと言うとき、「人のために勉強するんじゃないでしょ。すべて、あなたのためなのよ」と言ったりします。しかし、キリスト教の精神にのっとって建てられたある大学で、「人のために学ぼう!」というスローガンに変えて話題になったことがあります。労働は、人間が罪を犯したために与えられた罰だと考えがちですが、アダムは罪を犯す前にも労働をし、神様も働かれました。労働は祝福です。労働を通して自分の夢を実現させ、家族やほかの人々を助けることができるのです。

 

三つ目に、労働は安息の門を開く鍵です。労働が祝福であるように、安息も神様が与えてくださった祝福です。しかし、安息は働いた後に与えられる実です。神様が6日間働かれた後、7日目に休むことによって創造を完成されたことには、意味があります。安息は労働の完成であり、祝いの意味があるのです。労働は安息の門を開きます。労苦して汗を流した人だけが、安息の祝福を味わうことができます。イエス様が十字架を負われ、むち打たれ、血を流して死なれることにより、永遠のいのちの道が開かれました。私たちも、イエス様の献身と死、従順なしには救いの道はありませんでした。安息も、労働という苦労と汗を通して得ることができます。動物にも労働がありますが、それは生存のためのものです。そこには別の目的はありません。どんな仕事をするかが重要なのではなく、どんな目的で、どんな態度でするかがもっと重要です。安息は、そのようなことを点検させ、さらには労働の意味を心に刻ませてくれます。その安息のための第一歩が労働なのです。

 

働くことができるのは祝福です。労働は、与えられた使命を成し遂げる道具です。朝、目を覚まし、一日という時間が与えられているのは、その日を通して最善を尽くして神様に栄光をおささげし、神様の祝福を味わうためです。また、私たちは労働を通して安息を味わうことができます。人生の宝である労働を通して、皆さんが今も働いておられる神様とともに勝利されますようお祈りします。

 

本文は、『リビングライフ STORY 2017年7月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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