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豊かな喜びの信仰
by.CGNTV
hit 314 recomend 56 2022-04-26 10:36:15

豊かな喜びの信仰

 

 

チェ・ヨンギ ヒューストン・ソウルバプテスト教会 前牧師

 

 

アメリカで博士課程を学んでいた頃のことです。私はイエス様を主として受け入れるかどうかの岐路で葛藤していました。私はクリスチャンホームで生まれました。祖父は23年間、牧会をしていましたが、朝鮮戦争当時、国連軍の仁川上陸作戦で北朝鮮軍が退却しながら宗教界の人々を拉致していく時に連れて行かれました。朝鮮戦争でホーリネス教会から6人の殉教者が出ましたが、その中の一人であり、龍仁韓国基督教殉教者記念館に遺影が展示されています。

 

「豊かに」得させてくださるイエス様

そんな家庭で生まれた私は、当然のように教会に通っていました。高校2年生の時に洗礼を受け、教会の学生会長もし、聖歌隊でも奉仕しましたが、大学に入ってからは信仰のない友人とつき合うようになり、教会は自分の力で人生を開拓できない無能な人々、天国以外に世に希望のない人々が集まる場所くらいに考えていました。私は、そんなみすぼらしい集団の一員であることを恥じるようになり、次第に教会から遠ざかりました。アメリカに留学し、博士号を取得するために学んでいたある日、キャンパスで新約聖書が配られていました。ちょうど実験が終わって論文を書いていた時で、時間に余裕があったため、1冊もらってマタイの福音書の最初のページから読み始めました。昔はたくさんの説教を聞き、神学書も何冊か読みましたが、聖書を通読するのは初めてでした。たちまち聖書の魅力にはまり、3日で通読を終えました。しかし、新約聖書を通読した後も、イエスという方に対する拒否感がありました。私と同年代で職業は平凡な大工、正規教育を受けたこともなさそうなのに、語ることは非常に独善的だと感じました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父(神)のみもとに行くことはできません」が独善的に聞こえるのは当然で、大きな拒否感を感じました。しかし、私がこのような拒否感を克服し、イエス様のほかに救いに導く方はいないと信じるようになったのは、イエス様の復活のためでした。すべての宗教の創始者には墓がありますが、イエス様には墓がないことが不思議でした。それで、その理由を知るために、聖書と当時の状況を記した歴史文献を参照しながら研究し、ついにイエス様が実際に復活されたという結論に至りました。イエス様が死んでよみがえられたことが事実なら、「イエス様が語られた通りに、神様が遣わされた救い主ではないか」と考えるようになりました。しかし、頭ではイエス様を救い主として受け入れても、主として受け入れることはできませんでした。タバコや酒、私が好きなことを捨てるのが嫌だったからです。クリスチャンになれば、あれこれの義務で抑圧され、拘束されそうで、嫌でした。

そんなある日、ヨハネの福音書を読みました。その時、一つのみことばが私の心を打ちました。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです」(ヨハ 10:10)。「豊かに」ということばが私の心の奥に突き刺さりました。

「イエス様を信じるにしても、臨終直前に信じて死のう」と私は決めていました。信仰生活が負担で、重荷で、拘束だという考えがあったからです。しかし、そのとき初めて「イエス様を信じることは、重荷となることだけではないのではないか」と思いました。それから満30歳になった年に、ついにイエス様を受け入れました。その時の祈りを覚えています。「神様、私はあなたの戒めに従う自信がありません。しかし、私が罪人であることは知っています。イエス様、私の心の扉を開きます。私の罪を赦し、私を神様が望まれる人にしてください」

 

真の楽しさと喜び

イエス様を受け入れてから、イエス様を信じることが本当に楽しくなりました。知れば知るほど、信仰生活が楽しくなりました。趣味に深みが加えられると、もっと楽しくなるのと同じです。イエス様を知らない人は真の楽しさを知らず、一瞬の楽しさに惑わされています。そんな彼らを見ると、悲しくなります。機会があるたびにイエス様を伝え、彼らが人生の真の楽しさと喜びを感じられるようになることを切に願います。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2022年5月』(Duranno書院)より、抜粋したものです。

 

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