教えが人を造る | |||||
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教えが人を造る
ジェネシスジャパン会長、創恵聖書教会茨城チャペル牧師 宇佐神 実
「そはその心に思ふごとく、その人となりも亦しかればなり。彼なんぢに食へ飮めといふこといへどもその心は汝に眞實ならず」(箴 23:7、文語訳聖書)。この聖句を現代語に私訳すると、「なぜなら、人がその心で考えるように、その人となりもまたそうなるからである。彼はあなたに食え飲めと言うが、その心はあなたに真実ではない」となります。ここでは何が語られているのでしょう。箴言23章では、「この世の教え」が「この世の支配者からあなたへのごちそう」に例えられています。そして、この世が食べさせようとするごちそう(この世の教え)を、あなたは食べてはいけないと言っているのです。食べるとどうなるのでしょうか。7節で、もし人がごちそう(この世の教え)を食べるなら、この世の教えに基づいて考え行動する人になります。人は心の土台に据えた世界観に基づいて考え行動する存在だからです。
創造主は、真心から私たちに良い食事(聖書の教え)を与え、私たちがそれに基づいて考え行動することを期待されます。それに対してこの世の支配者は、私たちの心を主から引き離すという悪意を持ってごちそう(世の教え)を食べさせようとするのです。私たちがどちらの食事(教え)を食べるかで、私たちの人となりが決定されます。この箇所を読むと、サタンがエバを誘惑した時の情景を思い起こさせられます。サタンは創造主のことばとは違う教えをもってやって来ました。善悪の知識の木の実を食べると、死なないどころか神のようになれるという教えです。エバにとってこのことばはとても魅力的でした。ついにエバは取って食べ、それをアダムにも与え、アダムもそれを食べてしまいました。結果として人はサタンの支配下に置かれ、創造主に逆らう思いを持つようになり、のろわれた世界の中で生きなければならなくなりました。
この世で生きていくとき、私たちは絶えずこの世の教えにさらされています。そして、知らず知らずのうちに、それが入り込んでこようとします。もし私たちがそれを食べて自分のものとするなら、私たちはそれに基づいて考え行動するようになります。進化論の教えを食べるなら、私たちは進化論に基づいて聖書を読もうとします。そして、天地創造は進化論が教えるように、長い年月がかかったと考えるようになり、必然的に、多くの動物が死と絶滅を繰り返す長い歴史を経て、最後に人間が造られたという教えを受け入れることになります。それは化石の中には病気にかかったものや殺されたものがあり、いばらの化石もあるからです。もし天地創造の途中で死も病気もいばらも存在したなら、主が「非常に良い」とおっしゃった世界(創 1:31)には、すでに死や病気が存在していたことになります。
聖書に「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった」(ロマ 5:12)と記されていますが、もし進化論を受け入れるなら、アダムの罪によって死が入ったのではないと考えますから、この聖書の箇所と矛盾が生じるのです。この立場を堅持しようとしたある人たちは、この矛盾を回避しようと「アダムの罪によって入った死とは肉体の死のことではなく、霊的な死のことだ」と教えるようになりました。しかし、主はアダムに「ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(創 3:19)と言われました。これは明らかに肉体の死を指したことばですから、霊的な死だけを指すという解釈には問題があります。聖書は、主が罪も死もない世界を創造したこと、アダムの罪により死が入ったこと、キリストの十字架上の死による贖いによって多くの人が義とされることを教えているからです。しかし進化論を信じた人の中には、徐々に信仰が蝕まれ、聖書を疑うようになり、ついには完全に信仰を捨て、逆に信仰を捨てさせようとする人さえいます。1950年前後に米国で大伝道者と呼ばれたチャールズ・テンプルトンはその一人です。
箴言23章は、この世の教えを食べないようにという警告である反面、もし私たちがこの世の教えを取り除き、主の教えを食べ、良い教えを心に宿すなら、私たちが良い教えに基づいて考え行動する人になることを教えている箇所でもあります。そして、良い教えに基づいて生きる人の描写は、詩篇1篇の幸いな人に表されています。主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさみ、思い巡らす人には、主の豊かな祝福が約束されています。また、ペテロの手紙第一には、純粋なみことばの乳を慕い求める人の幸いが書かれています。本当に良い教えを選んで食べているでしょうか。一度立ち止まってよく考えてみませんか。
宇佐神 実
ジェネシスジャパン会長、ラブクリエーション会長、水戸第一聖書バプテスト教会牧師を経て、現在、創恵聖書教会茨城チャペル牧師。クリスチャン・ヘリティジ・カレッジ卒、カリフォルニア大学バークレー校卒。創造主と創造のみわざのすばらしさを伝えるために講演・出版などの活動をしている。
本文は、『リビングライフ STORY 2017年8月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。