聖書的な妻 講座: 箴言31章の女性 | |||||
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聖書的な妻 講座: 箴言31章の女性
トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク
箴言には、知恵のことば、戒めのことばという意味があります。約3千年前に記された古代文書ですが、21世紀を生きる現代人にも、驚くべき知恵と洞察力を与えてくれます。神様のことばは、時代や地域、文化を超えるからです。神様の知恵は人間の知識と知恵の限界を超えています。箴言は、神様を恐れる人々に、どのように考え、行動し、生きていくべきかについての知恵を与えてくれます。私たちは、へりくだって自分の足りなさを認め、神様に従わなければなりません。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」(箴 9:10)とあるように、神様を恐れることが、すべての知恵と知識の根源だからです。
また、箴言には妻を得る人の祝福について書かれていますが、「思慮深い妻は主からのもの」(19:14)と描写されています。また、「しっかりした妻は夫の冠」(12:4)とも言っています。反面、争う妻は夫の骨を腐らせるという警告もあります。そうです。「知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす」(14:1)というみことばのように、知恵のある妻であるか愚かな妻であるかによって、家庭が建てられることも、壊れることもあるのです。特に、箴言の最終章である31章には、驚くべき女性が登場します。古代の女性として見るには、あまりにも現代的な感覚を持った女性でした。むしろ、現代を生きている私たちが学び、手本とすべき、すばらしい妻の姿を示しています。この31章のみことばを妻としての自分自身に照らしてみましょう。
箴言 31章10~31節
10 しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。11 夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。12 彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。13 彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。14 彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧を運んで来る。15 彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。16 彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、17 腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。18 彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。19 彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、手に糸巻きをつかむ。20 彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。21 彼女は家の者のために雪を恐れない。家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。22 彼女は自分のための敷き物を作り、彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている。23 夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。24 彼女は亜麻布の着物を作って、売り、帯を作って、商人に渡す。25 彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。26 彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。27 彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。28 その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。29 「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と。30 麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。31 彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。
1)しっかりした妻(10~12節)
箴言31章10~12節を解釈すると、次のようになります。賢く、気品のある人格を持った妻を得る夫は、本当に幸運で、主から祝福された人です。そのような妻は、当時、最も高価な宝石とも比較できないほど尊く、価値があります。その妻の夫は、妻を100%信頼することができます。なぜなら、妻はすべての面において知恵深く、賢く、すぐれた決定を下すからです。そのような夫の人生には、何一つ欠けるものがありません。そのような妻は、一生涯、夫に害を及ぼさず、善と祝福だけをもたらします。
この女性は、賢くしとやかな人格を持った妻でした。内面の自我が気品のある女性でした。どうしたらそのような人格を持つことができるのでしょうか。子どもの頃から良い教育と訓練を受けていたとも受け取れます。30節を見ると、この女性は主を恐れる妻であったことがわかります。それで、神様による知恵とすばらしい人格を持つようになったのです。
妻としての、あなたの人格はどうでしょうか。夫があなたを信頼できるほど、すべての点で知恵深く、賢いですか。あなたは夫の人生に益を与えていますか。夫があなたに出会って、もっと祝福を味わうようになりましたか。それとも、夫の人生に害を与えていますか。妻としての自分自身を振り返ってみましょう。
2)家庭を切り盛りする経営者(13~19節)
ここに描かれた女性は、家庭を積極的に切り盛りする妻でした。布地や敷き物のような、家内制手工業を営んでいたようです。そのために、羊毛と亜麻を手に入れてきて、ともしびは夜になっても消えませんでした。召使いの女たちにも効果的に仕事を割り当てましたが、自分の手でも糸取り棒や糸巻きをつかみました。怠けず、勤勉に家内事業を起こしました。当時の女性たちは多くの社会的な制約を受けていましたが、彼女は商人たちと貿易もしました。その結果、有能な妻により、家庭は経済的にも豊かになりました。このような妻を得た夫は、本当に祝福された人です。
妻は、家庭を切り盛りする経営者です。そのような意味で、妻の役割は専門職です。もし給料をもらうとしたら、たくさんもらって然るべきでしょう。最近、外で働く妻のことを、ワーキングマザーと呼んだりします。妻が外でお金を儲ければ、有能だと思われたりもします。しかし、外でお金を儲けなくても、妻という役割自体が専門的な使命なのです。家庭で家事をよくこなし、家計を豊かにさせることができます。知恵深く節約し、賢い貯蓄と経済観念によっても、家庭を上手に営むことができます。妻として、専門的な姿勢を持ちましょう。子どもをよく育てること、家族の健康を守ること、節約して家計を上手にやりくりすること、それらすべてが、妻の専門的な役割です。そのためには、本で学び、経済や子育て、健康、料理などについても研究する必要があるでしょう。そのように研究する中で、家庭で事業を始めるようになることもあります。何よりも、夫と子どもに、霊的、精神的な安定感を与えることが、妻の重要な使命であることを覚えましょう。あなたのゆえに夫と子どもたちが祝福を味わいますように。
3)腰に帯を強く引き締め(17節)
このみことばに現れている妻の姿は、ただ弱々しく見える女性の姿ではありません。かえって、力強く腰に帯を引き締めて働く、勇ましい姿が現れています。昔の私たちの母親の姿を思い出します。朝早く起きてみると、スーパーウーマンのようにすでに多くの仕事をこなしていました。実に力強く、勤勉な母親でした。ところが、最近、周りを見てみると、夫に依存して、「私は何もできない」という態度を取る弱々しい妻をよく目にします。自分を飾ることに夢中になり、夫に多くの要求をし、家事や子育てさえもほかの人に任せる母親もいます。
しかし、実際、母親は強いものです。妻も強くなれます。愛しているから、重いものも持つことができ、引越しの荷物もまとめることができ、家の修理や電球の交換もできます。何人もの子どもの面倒を夜通し見ることもできます。自らを強くしましょう。腰に帯を強く引き締めて、勇ましく腕をふるう妻、夫を積極的に助ける助け手になりましょう。夫に実際的な助けを与える妻になりましょう。力強く家庭を切り盛りするスーパーワイフになりましょう。そのような妻によって、家庭は堅く築かれていくのです。夫は妻に感謝するでしょう。子どもたちにも母親に感謝する心があふれるでしょう。女性の力を極大化させて、夫とともに家庭を堅く築いていかれますよう願います。
4)悩んでいる人に手を差し出し(20節)
上ですでに黙想したように、この家庭は有能な妻により物質的にも大きな祝福を受けるようになりました。しかし、さらに尊いことは、神様から祝福された豊かさによって自分たちだけが豊かになろうとしなかったことです。むしろ、悩んでいる人に手を差し出し、貧しい人に手を差し伸べて助ける妻でした。なんと美しい姿でしょうか。神様を恐れる女性だからこそ、周りにいる貧しい人に関心を持ち、助けることができたのです。おそらく、「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある」(箴 11:24)というみことばと、「おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される」(箴 11:25)というみことばを知っていたようです。そして、すべてのことにおいて、神様のことばに従う妻でした。
神様を恐れる家庭の最も大きな特徴の一つは、施しと善行です。施しと善行は、してもしなくてもよい選択事項ではありません。イエス様を信じる家庭は、必ず隣人を顧みなければなりません。自分たちだけが豊かに暮らす利己的な家庭ではなく、貧しい者や疎外された者たちを顧みる、利他的な家庭にならなければなりません。施しをする家庭、お金を良いことに用いる家庭、祝福を流す家庭こそ、真に祝福を味わう信仰の家庭なのです。悩んでいる者に手を差し出し、貧しい者を助けた女性は、実に信仰深い妻であり、母親でした。「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです」(ヤコ 1:27)。
5)着物は亜麻布と紫色の撚り糸で(22節)
上の17節で、「腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう」妻の姿を見ました。自らを犠牲にし、力の限りを尽くして家業を起こす女性像を見ました。しかし、さらに尊いことは、自分自身を大切に顧み、装う、美しい妻であり、母親の姿です。昔の私たちの母親を思い出してみましょう。ただ夫と子どもたちのために、自分のすべてを犠牲にして生きました。おいしいものも家族に譲りました。それで、子どもたちは母親がもともと好きではない食べ物なのだと誤解しました。自分のために新しい服を買って着るのもあまり見たことがありません。それで、母親がきれいな服にはあまり関心がないのだと思いました。そのように生きてきたので、後々にも、夫や子どもたち、嫁からも良い待遇を受けることができませんでした。もちろん、当時は経済的にも貧しい時代だったので、仕方ない部分もありますが、実に心が痛みます。
しかし、きょうのみことばに登場する女性は、全く違いました。まず、家族みんなにあわせの着物を着せ、雪が降っても恐れないと記されています。当時、暖房設備も整っていなかった時代に、あわせの着物は、厚い綿の服を連想させます。家族のためにきれいな色合いの丈夫な冬服を準備する、思慮深い女性でした。しかし、この女性の特別な点は、家族を顧みただけでなく、自分自身のためにも敷き物を作り、亜麻布と紫色の拠り糸でできた着物を着ていたことです。亜麻布は、かなり高価な商品であったし、紫色の拠り糸も高価な物を象徴する魅力的な色でした。亜麻布は祭司の服を作る重要な材料であり、聖徒たちの正しい行いを象徴し、神の国で主の花嫁が着る服として描写されています(黙 19:8)。彼女は勤勉に家事をこなしながらも、自分自身を大切にし、きよく装う女性でした。古代の女性でしたが、自分自身のためにも美しく装うことのできる、実にすてきな女性だったのです。
祈りましょう
創造主であられる父なる神様。あなたは男性と女性を神様のかたちに尊く造られましたが、実に長い間、人間の罪により、女性は抑圧され、さげすまれてきました。今も多くの国では、女として生まれてきたからと、能力も発揮できない社会があります。しかし、神様、私たちをイエス様と出会わせ、聖霊様の知恵と力を与えてくださり、感謝します。私たち自身がどれほど尊い存在であるかを教えてくださったことも感謝します。これからは、アイデンティティを回復し、美しい人生を歩んでいきます。夫を立て、家庭をしっかりと築き、貧しい人も助けます。何よりも、亜麻布の服を着た主の聖い花嫁として生きていきます。主を恐れて力強く生きていけるよう、聖霊様が導いてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
イ・キボク
トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。
本文は、『リビングライフ STORY 2017年10月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。