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ESSAY
神が悪を制御される
by.CGNTV
hit 347 recomend 117 2018-02-27 01:44:23

神が悪を制御される

 

 重要なことは、悪を象徴するこの女がエパ枡の中でどのような行動をし、神がどのような処置を取られたかである。7節を見ると、鉛でできたふたが持ち上げられたとあるが、これはエパ枡の中にいる悪が外に出て、世に影響を及ぼそうとしたのである。すると8節で、御使いがこの女をエパ枡の中に押し込めた後、鉛の重しをかぶせてしまう。

 

 ゼカリヤ5:8 彼は、「これは罪悪だ」と言って、その女をエパ枡のなかに閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた。

 

 鉛は重い金属である。「鉛の重しをかぶせた」とは、神の力で悪を制御しているということを意味する。悪は外に出ようとしたが、かえってエパ枡の中に押し込められ、ふたで覆われてしまったのである。

 悪がエパ枡の外に出ようとしたことは、とても密かな試みであった。悪はこっそり抜け出し、私たちが悪を行うよう密かに誘惑する。しかし、神は、どんな悪も制御することができ、悪が隠れていたエパ枡を、かえって悪の牢獄として用いられる。

 地球上で起こる数多くの邪悪な出来事を見ながら、なぜ神はこのような悪を許されるのだろうかという質問をするしかないかもしれない。そして、なぜこのような悪を食い止めてくださらないのだろうかという疑問を抱くかもしれない。神がもし、邪悪な人間たちが考えるとおりに、したいとおりに放っておかれたとしたら、この地球はとっくに破滅していたであろう。言い換えると、神が許される悪よりも、食い止めておられる悪の方がはるかに多いということである。比較できないほど多いのである。時には、なぜ神が自分の家と工場が火事になることを許されたのかわからないと恨むこともできるが、数え切れないほど多くのこれまでの歳月の間、神が無事に守ってくださったことを忘れてはならない。私たちは、家が焼けると神のせいにしながら、家が焼けないときには神に感謝できない。私たちが今の苦しみを大きく感じるのは、裏返して言えば、神が今まで私たちが受けるべき多くの苦しみを阻止してくださったことの反証なのである。

 

 Ⅱテサロニケ2:7-8 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。

 

不法の秘密を引き止め、取り除かれる時が来ると言われた。エパ枡の中にいた女が取り除かれる姿が次に出てくる。

 

 ゼカリヤ5:9-11 それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」 彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」

 

 こうのとりの翼のような翼のあるふたりの女が、悪が閉じ込められているエパ枡を高く持ち上げて、シヌアルの地に移す。シヌアルの地はバビロンを指す。シヌアルの地は神に反逆した人間たちがバベルの塔を築いたところである。悪が根を下ろしてとどまるのに良い地である。偶像礼拝、不正と圧制、搾取が満ちたところで、神のさばきを待っている地である。神が悪をエパ枡の中に閉じ込めるだけでなく、シヌアルの地に移して、そこで最後のさばきを待つようにさせるのである。

 神は悪を制御するだけでなく、悪をシヌアルの地に移して、最後のさばきの時まで待つようにさせる。神は悪だけをシヌアルの地に移すことを願われるのであって、私たちまでそこに送ることを願われなかった。ところが、悪が座っているエパ枡の中に自分から入ることにより、一緒にシヌアルの地に移された人々がいる。悪が鉛のふたを開けて密かに入って来いと招いたとき、その招きに応じてエパ枡の中に入り、神がそのふたを閉めてシヌアルの地に移されたので、永遠に帰って来られない人々である。

 神は、私たちを愛し、私たちの中にある悪を取り除き、私たちを祝福することを願っておられる。私たちがその悪を捨てずに抱えているなら、飛んでいる巻き物が私たちの家を襲ってその真ん中にとどまり、梁まですべてなくしてしまうであろう。この悪はエパ枡の中に閉じ込められている。私たちが自分からそのエパ枡の中に入らないかぎり、その悪は神の統制下にあり、いつかは完全に滅びる。

 悪が入っているエパ枡を遠ざけよう。エパ枡が正直な道具となるようにしよう。すべての商取引において悪を遠ざけよう。すべての密かな悪の誘惑に立ち向かおう。そうすれば、神ののろいではなく、神の祝福が臨む人生を生きるようになるだろう。

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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