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ESSAY
神のさばきで起こった歴史の逆転
by.CGNTV
hit 64 recomend 12 2018-03-27 06:10:51

神のさばきで起こった歴史の逆転

 

 ゼカリヤが最後に見た第八の幻では、全世界を治める神が敵対する諸勢力をさばかれる場面が出てくる。ゼカリヤが目を上げて見ると、青銅でできた二つの山の間から四台の戦車が出てきた。第一の戦車は赤い馬が引き、第二の戦車は黒い馬が引き、第三の戦車は白い馬が引き、第四の戦車はまだら毛の馬が引いていた。これらは全地を治める主に仕える天の四つの霊である。

 戦車は、戦争用の武器で、神のさばきを実行する道具である。今日であれば、おそらく幻の中に装甲戦車や戦闘用ヘリのような武器が出てくるであろう。この戦車をさまざまな色の馬が引いている。このさまざまな色が持つ意味は、多様な解釈が可能であろうが、神が罪悪で満ちた歴史をさばかれるとき、そのさばき方が多様であることを示していると言える。時には戦車によって、時には病気やききんによって、時には自分が仕掛けたわなに自らはまることによってさばかれる。

 ところで、これらの戦車は二つの青銅の山の間から出てきた。聖書で青銅は、強い力と勝利を象徴している。ヨハネの黙示録1章15節で、イエスをこのように表現している。

 

黙示録1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

 

 イエスの足は炉で精錬されたしんちゅう(青銅)のようで、すべてのサタンの勢力をその足で踏んで勝利された。神が青銅の山の間から遣わされた戦車は、四方に送られて、神の御心通りにさばきを実行し、必ず勝利を収める。

 歴史に興亡盛衰があるのは、神が歴史の中で戦い続けておられるからである。人々の戦いは邪悪な心から始まるが、神の戦いは悪と戦って悪をさばく戦いである。神は、悪の勢力と戦う聖なる勇士である。

 歴史の流れの中で滅びる人もいれば盛んになる人もいると人々は考えるが、歴史の栄枯盛衰は必ず人間の罪と関係がある。罪悪に対する神の戦いとさばきで歴史が動いているのである。悪を捨てて善を選ばないなら、神に敵対する者となる。神の敵対者となるなら、この幻の中に出てくる神の戦車によってさばきを受けることになる。

 ゼカリヤが最初に見た幻では、神に遣わされて地を行き巡った馬が、全地は安らかで穏やかだったと報告した。ところが、最後の幻では、その世に神のさばきが成し遂げられた。最初の幻では、子なる神イエスが敵の平安を見て「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか」と神に訴えた。ところが、この最後の幻ですべてが逆転する。彼らに対する神のさばきが成し遂げられると、「わたしの怒りを静める」(訳者注:ヘブル語聖書原文の直訳は「わたしの霊を休ませる」、口語訳は「わたしの心を静まらせてくれた」と翻訳)と言われたのである。

 

ゼカリヤ6:8 そのとき、彼は私にこう告げた。「見よ。北の地へ出ていったものを。それらは北の地で、わたしの怒りを静める。」

 

 御使いが告げたことは、さばきが成功裏に行われたというサインである。韓国語ウリマル訳では「わたしの怒りを静める」を“わたしの心をすっきりさせてくれた”と翻訳している。神の心がすっきりしたというのは、神がさばきを楽しまれるという意味ではなく、神の公義を満足させるさばきが成し遂げられたという意味である。

 罪の人生を見るとき、神の心に怒りがわき上がる。悪しき敵に対するさばきが成し遂げられないかぎり、神の心は穏やかでない。私たちは、悪が横行し、不法がはびこるとき、神がなぜさばかれずに沈黙しておられるのかと問うことがある。ゼカリヤ書は、私たちにこの問いに対する答えを与えてくれる。悪者たちが平安で安逸を楽しむとき、神の心は決して安らかではなく怒りをわき上がらせ、青銅でできた二つの山に戦車を備えさせる。そして、神がさばきを行われるときは、その心がすっきりする、あで徹底的にさばかれるのである。

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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