聖書的な妻 講座: 健全な対話をするために | |||||
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聖書的な妻 講座: 健全な対話をするために
トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク
Introduction
言葉には、その人の人格が表れます。また、言葉は霊的なもので、その人の霊的な状態を表しもします。私たちは、信仰的な言葉、人を生かし、回復させる言葉を用いるよう心がけなければなりません。言葉は、人間関係を立ても壊しもするということを覚えましょう。
自分が健全かどうかは、自分の言葉が健全かどうかを調べればわかります。健全な人は、健全な対話ができます。夫婦間の対話を妨げている要因は、もしかしたら自分にあるのかもしれません。不健全な対話のタイプを一つずつ見ていきながら、自分自身の対話スタイルを点検してみましょう。
1)非難型 このタイプの人は、対話を始めたとたんに非難や忠告の言葉が出てきます。心の中には無意識に「自分は正しく、あなたは間違っている」「すべて、あなたの過ちだ」「私はあなたよりもよく知っている」「だから私はあなたに教え、忠告しなければならない」という心の態度をもっています。
私たちは、人のせいにし、非難するのに慣れています。それは、全人類の祖先であるアダムが神様を裏切って罪を犯した後、「あなた(神様)が私のそばに置かれたこの女(エバ)が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」(創 3:12)と妻に責任を押し付けて、非難した時から始まりました。その後、アダムのDNAを受け継いだ私たちは、何か問題が生じるたびに、誰かのせいにし、非難の矢を人に向けて生きてきました。
しかし、人は、自分を非難する人とは口を利きたくありません。だれかからきつく非難されたら口を閉ざします。自分を防御するために、心の扉を閉ざすのです。結果的に、非難は対話の意欲を失わせ、夫婦関係を壊す原因となります。忘れないでください。人は非難や忠告によっては決して変わりません。それがどんなに正しい言葉であっても、非難や忠告によって変わったという人はいません。かえって非難はその人が反省する機会を奪ってしまいます。関係をさらに悪化させるだけなのです。
自分自身を振り返ってみましょう。あなたには非難する習慣がないでしょうか。自分の心に「非難の霊」が潜んでいないでしょうか。夫を非難しない決意をしましょう。非難は、自分の目の中にある梁を見ずに、相手の目のちりを取りのけようとする高慢な態度です。夫婦間に指摘や非難は、絶対に禁物です。
2)協調型 このタイプは、葛藤を避け、自己主張できない人が用いる意思疎通の方法です。自分の考えや願い、感情などは犠牲にして、夫との平和を保とうと努力します。夫の機嫌をとるために、時には言い訳をしたり、へつらったりしながら、自分の意見を表現できません。このタイプの人は、多くの場合、自尊心が低く、自信がありません。このような人の心には、「私は価値がない」「私ひとりが我慢すればいいんだ」「夫を怒らせてはならない」という思いがあり、じっと我慢したり、いつでも夫に譲り、自分が負けるのが正しい態度だと信じています。夫婦間の葛藤を積極的に解消するのではなく、「あなたの好きなようにして」「私は何でもいいから」と言って自分をあきらめる犠牲者のような態度をとります。このような人は、一見、素直に見えますが、実はその心は不健全です。
このような協調型の人の心には、密かに非難や不満がたまっています。表現されない不満は、時が流れてもなくならず、沈殿物のように心の底に沈んでいます。それで、身体的に消化不良が起こったり、心にうつ病が生じたりします。あるいは、いつか感情が爆発して、「今までずっと我慢してきたけど、もう耐えられない」と言って、破局に至ることもあります。無条件にじっと我慢し、譲歩するのは良い態度ではありません。夫との葛藤を正しく解消するために、自分を健全に表現する方法を学ばなければなりません。夫婦の健全な対話のための積極的な努力が必要なのです。
3)散漫型 散漫型は、いつも騒々しく、「私はいつも、やることがたくさんある」という態度を持っています。対話の主題に集中できず、状況をよく把握できません。それで、不適切な行動をすることがよくあります。対話中に、突拍子もないことを言います。深刻な話を避けようとします。夫が何か話を始めると、その主題と全く関係のない話をして、対話を切ってしまいます。夫がわざわざ対話しようとしているのに、「ガスの火を消さなきゃ」「冷蔵庫が小さすぎて困っちゃうわ」「今、ちょっと忙しいから」「きょうは、ちょっと疲れてるの」と言って、対話を中断させてしまいます。夫が頭が痛いと言えば、私はきのうから腰が痛いと、自分のことばかり話します。対話に集中しようとせず、テレビを見ながら夫の話を無視したりもします。それで、夫婦が一緒にいても、別世界で生きているようです。それでいながら、「私の話は聞いてもくれない」「私の話には関心もない」と感じ、だんだん対話をしなくなります。
子どもたちも学校であったことを家に帰ってきてお母さんに話すことができるようにしなければなりません。時には深刻な内容が潜んでいるかもしれないからです。子どもの話に相づちを打ちながら耳を傾けてあげなければ、子どもはだんだん口数が減り、もっと大きな問題に発展することもあります。思春期の子どもと対話が断絶しないよう、子どもの話に集中し、共感してあげましょう。
夫も外であった些細な話まで妻と分かち合える環境が必要です。夫の話を上の空で聞いたり、無視したりしないようにしましょう。夫の言葉に集中して、相づちを打ちながら聞くようにしましょう。夫が今、何を願い、何に関心があるのか、最近どんなことで悩んでいるのか、何を恐れているのかなどについて関心を持ちましょう。そうでなければ対話は断絶し、夫は妻との対話をあきらめてしまうでしょう。
4)ダブルバインド型 ダブルバインドとは、互いに矛盾し、相反する2つ以上のメッセージを同時に話すことを言います。口にすることと考えていることが異なっているのです。たとえば、子どもが母親に「お母さん、怒ったの?」と聞くと、「ううん。どうして怒ってるだなんて言うの? 怒ってないわよ」と答えますが、雰囲気がふだんと違います。行動で怒りを表しているのです。そうすると子どもは、お母さんが本当に怒っていないのか、混乱します。
ある妻が、夫の帰宅後、「私、きょうは、ちょっとつらいことがあったから、ひとりにさせてね」と言いました。それで、夫が妻をそっとしておきました。しばらくして、妻が急に部屋から出てきて、「私が死のうが死ぬまいが、関心もないんでしょう!」と大声で怒鳴ります。それで夫が、「お茶でも飲みながら、ちょっと話そうか」と言うと、「私がひとりにしてって言ったでしょう! 放っておいてよ」と言います。これでは、妻がどうしてほしいのか、夫にはわかりません。どちらの要求にも、うまく答えることができません。どう反応しても妻が腹を立てるので、混乱してしまうのです。
自分が望むことは、具体的に表現しなければなりません。伝えもしないで、相手の反応を試し、自分の思いどおりにならない場合に腹を立てるのは、健全な態度ではありません。自分の思いや願いを正直に伝えましょう。そのためには、自分自身が本当に望んでいることが何か、内面を振り返る必要があります。そして、恐れず正直に自分の思いを表現しましょう。そうすれば、互いへの誤解がなくなり、感謝と喜びがあふれる夫婦関係を回復できるでしょう。
2 健全な対話
不健全な家庭には、「あなたの考えを話すな」「あたたが今、感じていることを表現するな」「あなたが今、見ていることを信頼するな」という無言のメッセージが潜んでいます。それで、家族間で正直な対話ができず、言葉はゆがんでしまいます。その結果、自分自身についても混乱するようになり、率直な表現ができなくなり、心も病んでいきます。反面、健全な家庭では、自分自身を見つめ、考え、感じることを恐れず、互いがそれを表現することができます。心と言葉が一致した対話ができます。それで、家庭は心の奥底にある思いまで打ち明けることができる空間になります。そのような家庭で育った人は、人間関係で自分の考えや思いを表現できます。心と言葉が一致した対話をすることができる人になります。
1)一致型 自己肯定感の高い人が用いる対話のタイプです。それで、自分の考えや気分や願いなどを人に伝え、正直に表現できます。言葉と行動が比較的一致しています。対人関係で、自分と他人の両方を信頼し、親密な関係に対して恐れがありません。自己防御が少なく、自然で平安です。何よりも、人のせいにしたり、非難したりしません。自分と他人は異なる存在なので、互いの意見や考えなどは異なりうるということを認めます。それで、互いの個性を尊重し、信頼します。このような人は、言葉が抽象的であったり複雑であったりせず、明確で単純です。
新約聖書の四福音書を見ると、イエス様は、驚くほど言葉と行動が一致していました。イエス様は話したとおりに行動されました。ヨハネの福音書12章24~25節で語られたとおり、一粒の麦としてご自分のいのちを捨てられました。そのようなイエス様は、軽々しく話さず、「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです」(マタ 5:37)と教えておられます。
2)互いに尊重する家庭 尊重することは、まず自分自身を愛し、尊重することから始まります。自分が尊い存在であることを受け入れてください。なぜなら、あなたは創造主が尊く創造し、愛してくださっているからです。自分自身を尊く思える人は、夫をも尊く思うことができます。夫も創造主が尊く造り、愛しておられるからです。私たちは互いに異なります。互いの個性を尊重し、互いの考えや感じ方、願いなどを認め、尊重しなければなりません。
ふつう夫婦げんかは一言の言葉から始まります。相手を傷つける言葉一つで、夫婦が取り返しのつかない状態になってしまこともあります。夫婦間でも、決して口にしてはならない言葉があります。それは、非難する言葉、相手をさげすむ言葉、弱点をつく言葉、人と比較する言葉などです。どんなに腹が立っても、極端なことを口にしてはなりません。たとえば、「離婚しよう」「だからいつも失敗するのよ」「本当に、救いようがないわね」などの言葉は、夫婦関係にひびを入れます。サタンが好む言葉を口にしないよう気をつけましょう。
イエス様の愛によって新しく生まれ変わったのなら、言葉も聖霊の導きを受けなければなりません。一つの口から賛美とのろいが出てくるはずはありません。後に、神様の御前で言葉についてもさばきを受ける日が来ます。預言者イザヤは、聖い神の宮に入ったとき、「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから」(イザ 6:5)と言いました。私たちは、神様の尊い子どもです。いつも、人を生かす言葉、いのちの言葉で夫婦の愛を堅く守ることができますよう願います。
祈りましょう
神様。これまで言葉で犯した罪を悔い改めます。人を非難したことを悔い改めます。夫を生かす言葉ではなく、知らず知らず夫を落胆させたり、無視するような言葉を使っていました。赦してください。これからは、主が喜ばれる言葉、夫を生かし、励まし、感謝する言葉を伝える妻になりたいです。主よ、導いてください。サタンに唇を明け渡さないよう、いつも目ざめていられますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
イ・キボク
トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。
本文は、『リビングライフ STORY 2018年7月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。