幸福な奴隷から責任ある自由人へ | |||||
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幸福な奴隷から責任ある自由人へ
ニュー・クリエイション・チャーチ主任牧師 三好明久
ドラッカー(Peter F Drucker)は、初期の著作である『産業人の未来』の中で、「責任ある自由人」という人間観を「幸福な奴隷」と対比させ、自由の基礎となりうるものは、「不完全で弱く、罪深いもの、塵より出でて塵に帰すべきものでありながら、神のかたちにつくられ、自らの行為に責任を持つものとしての人間」(上田惇生訳)というキリスト教の人間観であると述べています。人間が完全無欠の存在でない以上、人間には責任を伴う自由な選択が委ねられているというのです。ところが、多くの人たちは、責任を伴う自由な選択によって責任ある自由人として生きるよりも、「独裁者」の命令に従って生きる幸福な奴隷としての道を選ぶ傾向にあると指摘します。命令に従うことで評価され、幸福になる。そんな人生を選んで、委ねられた責任を伴う自由な選択の権利を放棄するのです。
では、なぜ多くの人々は責任ある自由人ではなく幸福な奴隷として生きることを選ぶのでしょうか。そのほうが幸福だからです。エジプトで奴隷だったイスラエル人たちは、モーセによってエジプトを脱出し、荒野に入ったとき、「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしている」(出 16:3)と不満を言いました。もちろん、主なる神は、彼らを荒野で飢え死にさせるつもりはありません。事実、主は天から食べ物を与えて、彼らの必要を満たされたのです。つまり、主が必要を満たしてくださることを知っていれば、私たちは幸福な奴隷であることを選択しないのです。しかし、それを信じることができなければ、この世のシステムに頼らざるをえなくなり、そのシステムの命令に従うことで幸福に生きていこうとするのです。
ビジネスの世界で生きようとするとき、私たちは、この二つの選択、すなわち、繁栄の「エジプト」で幸福な奴隷となるのか、それとも、荒野で責任ある自由人として生きるのかという選択に迫られます。そして、このとき、人間の目には何も見えない荒野で、主のみわざを信じて期待し、責任ある自由人として生きることを選択するとき、その向こうには乳と密の流れる所、「約束の地」が用意されていることを知るなら、荒野を選ぶことでしょう。ですから、奴隷状態から解放された後、私たちに約束されている人生がエジプトにおける繁栄にまさって、はるかに素晴らしいものであることを知る必要があるのです。
そのために、モーセの十戒はまず、第一戒で「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と命じています。主なる神だけがイスラエルをエジプトでの奴隷状態から解放したからです。キリスト者にとっては、主イエスだけが自分の身代わりとなって十字架で死んでくださった唯一の救い主であり、魂を聖霊によって新生させた方です。聖霊が魂に満ちているとき、この方以外に神はありえないのです。イエスの身代わりの死を信じて聖霊によって新生することで、この第一戒を体験し、それを証ししているのがバプテスマです。
次に、この第一戒の体験を確かなものとするために第二戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない」が与えられています。礼拝の対象を創造主のみとしなければならないということです。被造物を礼拝することは、創造主ではなく、被造物(宇宙)こそが永遠であり、それをつかさどっている神々を礼拝することで、自分の人生に用意されている創造主の働きを排除するということを意味します。そして、この偶像の世界の文化は、あたかも「お前も神々になれ!」と命令し、それに従って自己証明のために努力して生きることが、幸福な奴隷として生きることだというのです。ところが、創造主なる神は、ご自分のことばを実現して、その働きを推進していきますから、その可能性は人間の努力や想像をはるかに超えています。イスラエルの民は、荒野でそのことを信じることができず、金の子牛を造ったのです。これでは、荒野の困難や試練を乗り越えることはできません。しかし、もし創造主だけを本気で礼拝するなら、創造主の約束のことばと奇蹟によって、約束の地へと確実に導かれていくのです。日曜礼拝は、自分の身代わりに十字架で死んでくださったイエスが葬られて死から復活したことを本気で祝う場です。また、創造主の新しい創造の物語に、キリスト者と、この世界を招かれる主の働きであり、これによって私たちは第二戒を体験するようになるのです。この時、責任ある自由人は、ビジネスの世界(荒野)で、主のみわざを体験する、主の新しい創造の物語を生かされるのです。
三好明久
ニュー・クリエイション・チャーチ主任牧師。慶応大学商学部卒。銀行員を経てトリニティ福音主義神学大学院にて、M.Div. / M.A.(伝道学)、Ph.D.(異文化研究)修了。大手流通業勤務を経て、2002年4月より15年間、上野芝キリスト教会を牧会。2017年4月より山崎製パン総合クリエイションセンターを拠点に教会開拓に従事している。
本文は、『リビングライフ STORY 2018年8月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。