イエス・キリストが道です ~村上宣道牧師のメッセージ | |||||
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イエス・キリストが道です ~村上宣道牧師のメッセージ
日本CGNTVの番組より
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハ 14:6)。これは、イエスご自身の自己紹介です。私はこの中の「道」ということについてお話したいと思います。
砂漠のような道のない所に立たされて「さあ、まっすぐ歩いてください」と言われたとします。すると、まっすぐ歩いているつもりでも、少しずつ横にそれ、旋回して結局は同じ所へ戻ってきます。道がなければ、人はまっすぐに歩くことができません。
小学校4年生の頃、学校で山登りに行きました。私は慣れていなかったので、周りの子とはぐれてしまいました。「この道が近道かもしれない」と思って進みましたが、結局、迷って自分がどこにいるのかわからなくなってしまいました。夕暮れになって、だんだん日が沈み、雨まで降り始めて、本当に心細い思いをしました。それでも、がむしゃらに歩き回っていると、足跡を見つけました。それをたどっていくと、道に出ました。その道を見つけた時、「助かった!」と思いました。
しかし、そのようなことよりも、もっとうれしいのは、神様の道を踏み外して、どのように生きていったらよいのかわからないという迷いの中で苦しんでいたとき、聖書を通して「ここに本当の道がある」ということを見いだしたときです。皆さんの中にも道を捜しておられる方がいらっしゃると思います。ぜひ「わたしが道だ」とおっしゃるイエス・キリストいう方を知っていただきたいと思います。
英語では「わたしが道です」を「I am the way」と言います。「the」という定冠詞が付いています。いろいろな道があるのではなく、「わたしだけが道だ」という意味です。天に通じるための唯一の道なのです。「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」とイエスは言われました。人は天に上りたいという願望を持っていて、バベルの塔を積み上げて天に上ろうとしましたが、はかなくも崩れてしまいました。それとは逆に、ヤコブが見た天のはしごは、天から地に向かってつり降ろされていました。イエス・キリストは、神が私たちに備えてくださった、天に通じる唯一のはしごです。それ以外の所からは、だれも父のみもとに行くことはできません。
「way」には「あり方」という意味もあります。日本人は「道」という言葉が好きです。柔道、武道、華道の「道」には、「こうあるべきだ」という意味があります。また「I am the way」という言葉には「こう歩んだら大丈夫」という人生道の意味が込められています。人生道には決まりごとがあります。イエスの「わたしが道です」という言葉は、このはっきりした基準に合わせて生きれば大丈夫だということです。私たちの創造主なる神が立てられたご計画に沿って歩んでいくとき、間違いのない人生を歩んでいくことができるのです。
「way」には「方向」の意味も含まれています。徳川家康は「人生とは重い荷物を背負って歩くようなものだ」と言いましたが、行く目的がわかって歩くのとわからないで歩くのとでは、大きな違いがあります。確かな行く当てがある、この道は間違っていないと確信をもって生きることができることは、幸いなことです。
「way」には「方法」という意味もあります。イエス・キリストは、神の国に行く方法を設けてくださいました。へブル語では「道」の原語は「踏みつける」という意味です。イエス・キリストご自身は私たちのために踏みつけられました。それが十字架です。何の罪もない神から遣わされたお方が、あの十字架の上で釘づけられて、死刑にされました。私たちの罪を代わりに負ってくださいました。ですから、今までどんな罪を犯していても、イエス・キリストを信じるとき、私たちは罪赦されて、天の御国に行くことができます。神の子どもとして受け入れてもらうことができます。
罪の本来の意味は「的外れ」です。私は、牧師家庭で生まれましたが、中学2年の時に「神はいないんじゃないか」と決めつけた時期がありました。私はそこからすっかり道を踏み外して、万引きの仲間に入って、ドンドン落ちていきました。だから世界中の人が赦されても、私は赦されないんじゃないかと、思っていました。しかし、このような罪深い者のために、イエス・キリストは十字架にかかり、「父よ、彼らを赦してください」と言い、私たちが神と共に歩むことのできる道を設けてくださったのです。
皆さんの中で、道に迷っている方がいらっしゃるでしょうか。「わたしが道である」とおっしゃるこのイエス・キリストをどうぞ見いだしてください。イエスを通して、その道を間違いなく歩んでくださるよう心から願っています。
村上宣道
1933年生まれ。東京聖書学院卒業。愛媛県で開拓伝道、上野ホーリネス教会で伝道牧会して後、アメリカに留学。1972年に帰国して超教派の伝道活動に従事。1980年より坂戸キリスト教会で牧会をし、現在は引退して協力牧師。御茶の水クリスチャンセンター理事長、お茶の水聖書学院理事、日本ケズイック中央委員を務める。
本文は、『リビングライフ STORY 2018年9月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。