聖書的な妻 講座: 祈る妻 | |||||
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聖書的な妻 講座: 祈る妻
トーチ・トリニティ神学大学 教授 イ・キボク
Introduction
「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない」(イザ 62:6~7)。
夫のために祈る妻、子どものために祈る母親がいれば、その家庭は必ず天と地の祝福の中にあることでしょう。妻は、家庭を守る見張り人であり、神様が家族を通して栄光を受けられるときまで、休まず祈るべき使命が与えられています。
イエスを信じる者たちの祈りは、他の宗教者たちの祈りとは全く違います。異邦の神々を信じる者たちは自分たちで作り出した神々に向かい、神社や寺に行っては福を願い求めます。しかし、クリスチャンは、聞いて答えてくださる生ける神に祈るのです。私たちの神様は人格的な方だからです。
ですから、正しく祈るためには、神様に対する正確な知識がなければなりません。父なる神様の品性と属性をよく知って初めて、その方の御心にかなった祈りをささげることができるからです。神様が、どんなことを喜び、どんなことを嫌われるかを知らなければなりません。旧約の預言者ホセアを通して、神様は「誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ」と言われました(ホセ 6:6)。
また「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」(マタ 6:7)というみことばのように、宗教的なことばをくり返すことも、正しい祈りとは言えません。私たちの祈りは、神様と人格的に語り合うことです。親しい人に悩みを打ち明けるように、自然に対話することこそが、私たちの祈りです。流暢な祈りではなく、ひとりで部屋にこもって神様に自分の思いを注ぎ出すことが、真の祈りなのです。祈りは、霊的な呼吸です。ですから、祈りが行きづまれば、霊的に行きづまった状態になります。神様に自分の思いや心情、願いをすべて注ぎ出し、家庭を守る見張り人になることができますようお祈りします。
1. 効果的な祈りのためのヒント
1. 信じて祈る 神様は信仰を喜ばれます。信仰のない祈りはむなしいものです。信仰とは、積極的な信念や肯定的な考えではありません。熱く、感動的な体験でもありません。信仰とは、何でしょうか。それは、父なる神様は生きておられ、私たちの祈りを聞いて答えてくださる方だということを信じることです。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」(ヘブ 11:6)というみことばを覚えてください。また、神様は、私たちの罪を赦し、罪から救い出してくださったということ、特に、イエス様が私たちの罪を赦すためにこの地に来られた神様であるということを信じることです。「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」(ヨハ 16:24)。ですから、これからはイエス様の御名によって堂々と祈れば、答えをいただくことができると信じて祈ってください。
2. 聖書をよく読んで祈る みことばの人にならなければなりません。みことばで心と考えを満たさなければなりません。みことばを毎日食べなければ、すぐに信仰も弱くなり、祈りも力を失います。反面、神様のみことばを愛し、黙想すれば、すぐに信仰が育ち始めます。そして、祈りの生活も深くなります。毎日、朝晩に神様のみことばを食べる決心をしましょう。人は、パンだけで生きるのではなく、神様の口から出るみことばによって生きる存在だからです。みことばにとどまり、みことばに従ってささげる祈りには力があります。みことばを読んで祈る妻は、力ある妻です。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」(ヨハ 15:7)。
3. 祈りは霊的な戦い 私たちの敵は、人ではなくサタンです。ですから、祈りで勝利するためには、サタンの戦略をよく知らなければなりません。実は、サタンの戦略は簡単に知ることができます。サタンは、疑い、落胆、否定的な考えを吹き込みながら、私たちの家庭に分裂や憎しみ、不幸をもたらす仕業をします。サタンにだまされてはなりません。急に夫が憎くなったり、がっかりするようなとき、気をつけなければなりません。夫の背後でそそかすサタンの働きに気づかなければなりません。祈りをあきらめたくなるとき、気をつけましょう。「サタンが攻撃しているんだな」と見抜いてください。サタンが願うことと逆の行動を選びましょう。否定的な考えを捨てて肯定的な考えを選び、落胆の代わりに信仰を選ぶのです。揺れ動く自分の感情に従わないようにしましょう。祈りは、休むことのない霊的戦いであることを覚えましょう。
4. サタンの残骸を打ち砕く祈り どの家庭にも、サタンの築いてきた「とりで」があります。文化的な背景や、その家庭特有の価値観、代々伝わってきた伝統などによって、知らぬ間に家族一人ひとりの心が傷つき、それによって家族が互いに傷つけ合っているかもしれません。そのようにしてサタンが残した過去の残骸を断たなければなりません。今もあなたの家庭に残っている残骸がありますか。男尊女卑、劣等感、恐れ、暴力、中毒、淫乱などを断ち切らなければなりません。あなたの家庭に、堅固な「とりで」として残っているサタンの爪あとを、イエス・キリストの御名によって打ち砕く祈りをしましょう。「聖なるイエス様の御名によって命じる。この家を支配しているすべての暗やみの霊ども、この家から出て行きなさい!」と命令しましょう。そして、サタンのわざを滅ぼしに来られたイエス様を信じて祈りましょう。あなたは家庭の見張り人なのです。
5. 義人の祈りは大きな力がある 「義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコ 5:16)というみことばがあります。悪人の祈りは主に届きません。神様は、ご自分の子どもたちを聖くすることに大きな関心を持っておられます。「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」というみことばは、聖書のあちこちに見られます。
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザ 59:1~2)。私たちの祈りが答えられない理由は何でしょうか。もちろん神様の時がありますが、もしかしたら自分のうちに罪が残っているからかもしれません。淫乱、高慢、貪欲、怒り、怠惰、不平、恨み、赦せない心、傷、苦い根、不従順も、主の前で悔い改めるべき罪です。もちろん、ここで言う義人とは、完全な人のことではありません。しかし、聖霊の光の下で、まだ内面に残っている罪を悔い改めて、聖くなれるよう努力しなければなりません。そうするとき、主はあなたの祈りに答えてくださるでしょう。
6. 祈る妻は目の前の現実によって動じない 切実な問題について祈り始めても、主の答えをいただくまでは、かなり時間がかかるということを忘れてはなりません。すぐに答えられたらいいのですが、私の経験からしても、現実はそうではありません。ですから、私たちは揺れ動かない信仰が必要です。春に種を蒔いた農夫のようなものです。農夫は収穫を信じて畑に種を蒔きますが、収穫までは時間がかかります。目には見えませんが、土の中で種が育ち、芽を出し、雨風にも強い日差しにも耐え抜き、ついに収穫する日が来るのを夢見ながら、じっと待ちます。私たちが真実な主に信頼して待っている間、私たちの信仰は成長します。「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」(ヤコ 1:3~4)。
7. 祈りの答え 祈りの答えには、「イエス」「ノー」「待て」があり、もっと良い別のプレゼントもあります。神様はすばらしく完全な私たちの父です。私たちを愛し、私たちよりも私たちのことをよくご存じです。今は私たちには理解できなくても、子どもたちに最も良いものを備えておられます。その神様に最後まで信頼し、良いものを与えてくださると信じて祈り続けましょう。さらに神様は、私たちに聖霊を与えると約束しておられます。「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ 11:13)。
2. 祈りの地境を広げる妻
だれでも生きていれば、人生の苦難があるものです。しかし、イエス様を信じる者たちは、苦難が来れば主の前に進み出ます。苦難によって、ひざまずくようになるのです。それで、苦難は私たちをさらに近くに呼ばれる神様の愛だとも言えます。最初は、問題を解決してもらおうと、切に主に叫びますが、ずっと祈っていると、祈りの次元が変わってきます。信仰が深まり、祈りの領域も広くなります。
1. 家族のための祈り 母親は、夫と子どもが悪い道に進むとき、切実に祈らなければなりません。家族の健康のためにも祈らなければなりません。また、入試や就職、結婚、遠方への旅行などに際しても、祈らなければなりません。家族が世の誘惑に陥らないよう、悪から守ってくださいという祈りを忘れてはなりません。何よりも、夫と子どもがイエス様に人格的に出会い、たましいが救われるよう、最後まで祈り続けなければなりません。母親は、家族のための祈りの使命者です。
2. 隣人のための祈り 周りに切に祈ってあげなければならない人がいるものです。病んでいる人、危機的な状況に置かれている人たちがあなたの祈りを必要としています。その人たちのためにリストを作成して、心を込めて祈りましょう。他人のための祈りを通して、私の祈りの生活もさらに深くなり、神様に愛される女性になるでしょう。
3. 教会と国と世界のための祈り 主の教会が、さらに純粋に成長するように祈りましょう。牧会者たちが、神様だけを見上げ、力強い牧会ができるよう祈りましょう。世界に出ている宣教師のために名を挙げて祈りましょう。そのように祈れば、世界を抱く祈りの地境が広がります。時代と時と歴史を見分ける力ある妻になるでしょう。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタ 6:33)と主が約束しておられます。このみことばに拠り頼み、きょうも祈りに最善を尽くす信仰の妻になられますようお祈りします。
祈りましょう
天のお父様。これまで妻として、祈りをもって主の前に出られなかった過ちをお赦しください。祈りの代わりに心配し、不平を言っていました。主にゆだねることができず、落胆していました。それで、サタンに祈りの喜びと祝福を奪われていました。これから祈りの場を再び整え、祈りの使命を担います。私の祈りによって夫と子どもが救われますように。イエス・キリストの御名によって家庭を守ります。きょうから始めます。私を祈りの勇士として立ててください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
イ・キボク
トーチ・トリニティ神学大学院、キリスト教カウンセリング学教授。オンヌリ教会協力牧師、ツラノバイブルカレッジ家庭ミニストリーディレクター。ラブソナタ講師。
本文は、『リビングライフ STORY 2018年9月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。